ボーイング727のAPU
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仙台空港に初めて就航した旅客機は、
日ペリ航空(ANA)のデ・ハビランドDH114ヘロンだ。
それを記念して空港のキャラクターにもなっている。
「イギリス・ヘロン社製」って解説は間違いだけど。
四発旅客機だけど、17席というから、
機体規模としては新中央航空のDo.228に近い。
ちなみにANAは双発型のダブを先に導入していた。
こちらは10席だから、ほぼアイランダーと同じ。
これは双発だからダブ君(というのはいない)。
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別にどーってことない写真だけど、
今となっては懐かしい747ジャンボの皆さん。
今日のは全部ポケットに入るパワーショットS50で撮った。
「なんでちゃんと一眼レフで撮らなかったんだよ」って、
たぶんちゃんとしたのも撮っているはずだけど、
この頃はまだ仕事ではフィルムを主用していた。
そういうポジは出版社に預けっぱなしになっているから、
手元にはコンデジで安直に撮った画像しかないわけだ。
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パンナムがボーイング707を就航させたのは、
僕がまだかわいい乳飲み子だった1958年10月だ。
それまでのプロペラ旅客機の時代に
国際線スチュワーデスに三股をかけていたパリの色男が、
高速のジェット旅客機の就航で大慌てするという物語が
映画「ボーイング・ボーイング」(1965)だった。
もともとは1960年初演の演劇らしいのだけど、
僕は十代だった頃に映画版をたまたまテレビで観た。
あんまり飛行機が出てこないじゃんとガッカリしたけど、
航空マニア向けに作った映画じゃないからね。
タイトルが「ジェット・ジェット」とかではなく、
もちろん「ダグラス・ダグラス」でもありえないのは、
「ボーイング707」の社会的インパクトの大きさだろう。
ただのかわいいい乳飲み子だったから想像ですけど。
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ANAの727-100は見たことも撮ったこともない。
僕が高校に入学した頃に、
つまり自分のカメラを買う前に退役していた。
ただし胴体の長い727-200や737-200はたくさんいたし、
JALやTDAの727-100もいたし、747もいた。
ボーイングの旅客機は、すでに身近な存在だった。
日本初のボーイング旅客機がANAの727-100だった。
その機種選定で渡米した神田好武機長の言葉。
「戦前派のわれわれにとっての『ボーイング』は、
かのB-29に代表されるように、
いまわしい思い出がついてまわった。
(中略)戦後、はじめての導入では、
誰も表立っては指摘せぬまでも、
何がしかの不安はあったはずである」
確かに僕の母親も、B-29のプラモを作ったときには
ちょっとイヤな顔をしていたっけ。
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