グラマン・ターボグース
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レストア中のジェット戦闘機みたいだけど、違う。
「だからアメリカ最初のジェット戦闘機は
ベル社に発注されたのか」、というのも違う。
そういえばP-39のミッドシップ・レイアウトを
「ミドシップ」とか「ミド」という人は見たことがない。
これについては変な自動車マニア用語の
悪影響が及んでいなくてよかった(笑)。
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80年代後半のアメリカの飛行学校では、
すでに回転翼の訓練機はR22が主流だったけど、
就職にはベル47で訓練するのが有利ともいわれていた。
まだ使用事業会社ではベル47が数多く活躍していたから。
でも、R22よりも飛行料金がお高かったんですよね。
知人のアメリカ人パイロット(ベトナム帰り)は、
ベル47のローターを地面にヒットさせて笑いモノになった。
航空事故って、無事だと笑い話になることが多いかも。
それは「無事でよかったね」というお祝いの意味もあると
思っているのだけど、一般には不謹慎とされるのかな。
飛行機の低空ループで地面に激突して生還したヤツも、
ゲラゲラ笑いながら話してくれた。
そいつの場合は頭を強く打ちすぎたのかもしれないが。
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大学では勉強と仕事に必死だったので部活はしなかった。
もちろん金と時間が必要な航空部などは論外だった。
だから初めてグライダーに乗ったのは卒業してからだ。
霧ヶ峰を取材したときに乗せてもらったのがこの機体、
荻原式H-23C、JA2064だった。設計者は堀川勲さん。
そのときは上空から滑空場を空撮しただけだったが、
数年後には豊頃でグライダーを操縦できた。
飛行機の技能証明と有効な航空身体検査証明があって、
教官同乗ならば合法的に操縦桿を握れる。
そして後席に座ってくれたのは堀川さんだった。
神や仏を信じない僕にとっても「神様」のような存在だ。
飛ばしたのはH-23ではなくASK-21だったが、
適当にサーマルを拾って高度を稼いでいたら
(ハングをやっていたのでソアリングも普通にできた)、
退屈したのか堀川さんが「よし、突っ込め、引け~」と。
グライダーでの宙返りもそのときに初めて体験した。
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ある会社の歴史について長い原稿を依頼されたことがある。
ずいぶんとたくさんの古い資料を集めて読みこんだ。
社史はもちろん、当時の社員の著書や回想録も多数。
もちろん昔を知るOBの皆さんにもインタビューして、
ほとんどの現役社員よりは詳しくなったかもしれない。
悲惨な事故の教訓からの必死の改革の歴史もあった。
それは会社の発展を語る上ではきわめて重要なのだけど、
現役社員にはイヤな顔をして文句をいう人もいた。
その事故を知らなかったのか、なかったことにしたいのか。
不都合な歴史を「貶めるのか」と否定する馬鹿は、
いろいろな分野、世の中全般に増えているように感じる。
事故で亡くなった人も改革に努力した先人も浮かばれまい。
だいぶ前に古本で買って積んであった
「あひる飛びなさい」(阿川弘之/ちくま文庫)を読了。
フィクションではあるが、
かつて読んだ資料と違和感のない時代の空気感に、
なんとなくタメイキをつきたくなる過去を思い出した。
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