「記録」でなくて「好き」だから
中学生の頃に、イースタン塗装のトライスターと
ハウスカラーのDC-10とコンコルド試作機がデモに来て、
その頃はカメラも羽田までの電車賃も、
そもそも空港に見に行くという発想もなかったから、
高校生になって写真を撮りはじめたときには、
ちょっと悔しくて残念な思いをした。
その後、イースタン航空はマイアミで撮れたけど、
ハウスカラーのDC-10はついに見る機会もなく、
コンコルド試作機は博物館でしか撮っていない。
でも、そんなことをいちいち残念がっても仕方がない。
月並なトライスターも若い人は撮っていないだろうけど、
だからって撮ったということを自慢するのもアホらしい。
たまたまその時代に生きていた、というだけのことだ。
いまは見られない飛行機の写真は貴重な記録だけど、
正直なところ、そんなのど~でもいい。
「なぜ飛行機の写真を撮るのか」といえば、
「仕事だから」というのはともかくとして、
やっぱり「好きだから」っていうのが一番だと思う。
結果的には歴史の一片にもなるかもしれないけど、
そんなのは二の次で、今の「好き」という気持ちが大事。
たとえば十代の頃には、好きだった女の子に
「写真を撮らせて」なんてお願いもできなかったけど、
もし撮らせてもらえたとしても、記録のためじゃない。
好きだから、せめて写真に撮って眺めていたいからでしょ。
できるだけきれいに撮って、惚れぼれしていたい。
まあ、「歴史的な記録だから」って人がいてもかまわんけど、
そんな、トシとってからやっと意味が生れるような写真、
面白くないっすよ、たぶん。
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