LCCがトラウマだった
LCCは機内持込みの重量制限が厳しいので、
重い撮影機材を持った仕事では利用できない。
LCCの取材をするためにも、
わざわざ軽いレンズを新調しなくてはならなかった。
さらに僕がLCCの取材からなるべく逃げていたのは、
那覇で初代エアアジアジャパンの就航を見てからだ。
そのとき那覇には別件で滞在していたのだが、
「今日から就航だから空港の様子でも撮っておいて」と。
しかし、チェックインの様子を見てトラウマになった。
乗客もLCC慣れしていないということもあったろうが、
スタッフもつらかろうし、取材なら僕もつらかったろう。
その後、エアアジアジャパンは日本から撤退したが、
その教訓は後継のバニラエアに活かされて改善された。
僕もいろいろなLCCを取材して、トラウマを解消した。
そしてエアアジアジャパンは、新体制で再登場した。
中部ベースなので、利用したことはない。
だから前回の反省がどのように活かされているのか、
あるいは活かされていないのかも知らない。
変わろうにも、マレーシアの本体が許すのかどうかも。
実は海外ではエアアジアが、なぜあんなに成功できたのか、
いまだに理解できていない。時代遅れと言われても。
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