スレイトンのW-17スティンガー
マーキュリー計画の「最初の7人」に選ばれながら
心臓疾患で任務から外されたデューク・スレイトン。
後にアポロ・ソユーズ計画で宇宙飛行を実現した。
ちなみにNASMに展示されているのは試験機で
実際にスレイトンらが乗った司令船は
カリフォルニア・サイエンスセンターに展示されている。
NASA退職後には、エアレースにも力を入れた。
1993年6月13日の早朝には、
彼の「ウィリアムズW-17スティンガー(N21X)」が
ロサンゼルス郊外の飛行場から離陸して飛び回り、
いくつもの騒音の苦情が寄せられた。
独特の形と真っ赤な色、21のナンバーと騒々しさで、
周辺住民には機体の識別は容易であったという。
だが、同じ日の数時間前に
スレイトンは遠く離れたヒューストンで亡くなっていた。
N21Xも、すでにネバダの航空博物館に収められていた。
もちろん博物館から飛んで行ったという事実もない。
航空界ではよく知られた「怪談」だけど、
いまN21Xは、オリジナルエンジン搭載の零戦と同じ
チノのプレーンズ・オブ・フェイムに置かれている。
日本人の来訪者も多い航空博物館だが、
N21Xの写真を撮った人、「なにか」写ってないスか?
やっぱり、怪談は夜が長い冬の方が怖い。
今日は冬至だ。
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