アイランダーJA5175
沖縄航空で事故を起こして抹消登録された
BN-2AアイランダーJA5175は、
就航前に調布での整備中を撮影していたけど、
さらにそれ以前の、旧塗装での写真もあった。
ただし、旧塗装時代のことはさっぱりわからん。
1973年の酣燈社「日本航空機ガイド3」では
製造番号91(1969年製)で翌年に日本で登録。
安宅産業所有で、定置場は新潟とある。写真は調布だ。
横浜航空の所属だったという記述も複数あるが、
同社が運航していたのは北海道内路線。
定置場が新潟ということは、佐渡線を狙ったのか。
そもそも、これって横浜航空の塗装だったの?
横浜航空は日本近距離航空に吸収合併されるが、
日本近距離航空はDHC-6ツインオッターを導入した。
そこで不要になったアイランダーが沖縄に流れた?
当時の状況を知る人もまだご存命の可能性は高いが
あいにく僕にはそこまで昔話を追求する甲斐性はない。
新しい話を追いかけるだけで必死だ。
ただし、何か興味を持つ人がいるかもしれないので、
写真と問題提議だけはしておく。
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