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2017/08/31

夏休み明けじゃない

夏休みの時期はなかなか希望の便が取れない。
夜遅くのフライトだと、帰宅する頃には日付が変わる。
空港で聞けば、早い便に変更できるかもと期待したけど、
見事に満席ばかりで変更不能・・・・。
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そばにいた家族連れのお父さんが「明日から会社かあ」と
去りゆく夏休みにタメイキをついているのを聞いて、
「僕も明日は成田で仕事だよ」と、ひそかにタメイキ。

それから、
「今日だってお休みじゃなくて仕事だった」と思い出した。

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2017/08/30

静かすぎて落ち着かない

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ついに我が家にあるすべてのポジのスキャンを終えた。
まだ、あちこちに取り残してあるネガとかあるし、
出版社に置いてる大量のポジも見て見ぬフリをしているが、
我ながらよくやったなーと思う。
ただ、過去1年以上、家にいるときはずっと響いていた
スキャナーの駆動音がなくなって少し落ち着かない。
東京だから車の音とかは常にしているのだけど
それとは異質の「静けさ」にまだ慣れないでいる。
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たぶんスキャンした画像の整理分類まで終わる頃には
この状態にも再適応できるのだろうけど、
まだ手をつける覚悟はできていない。

いやー、しかし、すごい偉業ですよ、本当にそう思う。

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2017/08/29

撮りおさめも近い

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退役が近いIBEXのCRJ200。
現在残っているのは1機のみ。
あとは胴体の長いCRJ700のみとなるが、
両機の違いは胴体の長さだけではない。
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性能に影響する大きな違いは前縁スラットの有無。
スラットのついたCRJ700の進入姿勢はやや頭上げ。
進入速度も遅くなって、撮影も楽になっている。
異様に小さかった水平尾翼も大型化した。
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J-AIRのCRJも退役は時間の問題。
ぎりぎりになって、あわてませぬよう。

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2017/08/28

かわいい手形

ルブアルハリ砂漠の砂に残されたかわいい手形。
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残念ながら、僕の手です(笑)。

ずいぶん小さそうに見えるかもしれないが
思い切り広げると親指の先から小指の先まで25cmある。
たいていの人よりもでかいけど、かわいいよ。

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2017/08/27

海保ヘリの旧塗装

海上保安庁は英語で「Japan Coast Guard」だが
2000年までは「Maritime Safety Agency」だった。
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それ以前のベル212の、いわば旧塗装。
今と変わらないじゃんと思うかもしれないが、
後部胴体に漢字で「海上保安庁」と書いてあった。
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※部分拡大。
機体全体のデザインは悪くないと思うのだけど
A4紙に1枚ずつ打ち出して貼ったような文字はトホホ。
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さらに以前の塗装は、ぜんぜん垢抜けていなかった。
まるで、空飛ぶドクターイエローのようだ。
古いシコルスキーS-58ではさほど気にならなかったけど。
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上野の国立科学博物館の屋外展示時代。

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2017/08/26

なぜ晴れているのか

「新千歳に着きました。雲べったり」と親分から電話。
「札幌丘珠は、ほぼ快晴ですよ」といったら、
「このくらいの距離でそんなに違いますか」と驚いていた。
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なぜ晴れているのか、まだよく理解していないらしい。
簡潔に説明したら、電話を切られた。

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2017/08/25

デジタル一眼にかえた頃

仕事カメラをデジタルに移行したのは2005年のことだ。
性能的にはもう少しなんとか・・・と思っていたけど、
A380のお披露目が屋内イベントと知り、
渡航前日にヨドバシカメラにEOS20Dを買いに行った。
高感度性能はフィルムとどっこいでよくなかったけど、
人工照明下ではホワイトバランスが調整できるのが有利。
コンパクトデジカメはすでに10年くらいは使っていたから
そのあたりの優位性は理解していた。
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もうひとつ、デジタル化に猶予がなかった理由は
9-11テロ以降の空港でのX線検査の強化だ。
たとえば鉛入りの保護バックに入れたとしても、
中味が確認できるまで強度を高める装置ができていたし、
実際に強いX線で感光してしまったという報告もあった。
それは特にアメリカの取材ではかなり深刻な脅威だったし、
何度も乗り継ぎをするような取材では泣きそうになった。
デジタル一眼にかえてそうした心配はなくなったけど、
最初はカメラとしての使い勝手がトホホで
やっぱりしばらくは泣きそうな日々が続いた。

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2017/08/24

記念撮影用のお面

去年の夏のことだが、関空にお面が置かれていた。
和紙工芸のお面の展示の一環として、
記念撮影にどうぞという親切な企画だが・・・
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バイクタクシーのヘルメットと同じように
かぶってしまえば平気かなーと思ったけど
かぶらなかった。

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2017/08/23

フランクフルト空港の新旧展望デッキ

80年代にはフランクフルト空港の屋上展望デッキは
古い飛行機が並ぶ航空博物館でもあった。
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<スイス空軍のデ・ハビランド・ベノム>
いま見ると、後ろに並ぶ尾翼も博物館級(笑)。
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ちなみに、これが最近の展望デッキ。
有料だし、手荷物検査を受ける必要があるけど、
無粋な金網だのワイヤーフェンスだのがないのがいい。
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撮れる写真もたいして面白くはないけど、
ハブ空港だから乗り継ぎの時間つぶしにはありがたい。
ま、うんと時間があれば簡単に市内まで出られるけど。

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2017/08/22

かつて地方移住を勧められた

昔、地方の取材に行くとよく移住を勧められた。
東京でマンションを買う金があれば
大きめの庭つき一戸建ても夢ではないよと。
車庫はタダ゙だし、動物だって飼える。
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仕事関係の出版社は東京に集中しているけど、
そんなことは家を買う差額でなんとでもなるだろうと。
たとえば東京との差額が3千万円ならば
何回でも飛行機で往復できるじゃないかと。
それもひとつの考え方だなとは思った。
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キヤノンは年内で札幌と福岡のSCを閉鎖らしい。
残るのは東京と名古屋と大阪のみ。
ニコンはとっくにそのようにしていたみたいだ。
センサーのゴミ取りで東京に通うわけにもいくまい。
やはり地方のカメラマンは、大変だろうなと思う。

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2017/08/21

黄色のライン

雪の多い地方では滑走路のペイントには黄色を使う。
白く雪が降ってもラインを見えやすくするためだ。
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でも、これ誘導路ですけど(笑)。
さて、どう見分けるのでしょう(初級問題)。

ちなみに誘導路のペイントは雪のない地方でも黄色。

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2017/08/20

多勢に無勢だが

「ちゃんと撮影しに来るんでしょうな」と電話。
取材の確認にしては、少しドスがきいている。
「テルテル坊主がわりなんだから来ないと困ります」
僕の日頃の行ないのよさも、ついにここまでの威光か。
「でも、そっちには悪いのが何人いるんです?」
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個人的にはこれも「かなりいい天気」なのだけど
親分が納得してくれるかどうか。

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2017/08/19

日本滑空選手権

グライダーは気球に次いで長い歴史を持つ航空機だ。
スポーツとして普及した歴史ならば気球よりもむしろ古い。
ただし日本選手権が開かれるようになったのは80年代で、
これは意外なほど遅い。
航空機としての歴史が浅いハンググライダーよりも遅い。
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それまでグライダーの活動は大学航空部が中心で
学生選手権はずっと以前から開かれていた。
しかし卒業したあともグライダーを続ける人は少なく、
競技志向の人や競技用の機体はさらに少なかった。
あと社会人団体はけっこうバラバラということもあったかな。
そのあたりがよくわからなくて、取材のときには少し緊張した。

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2017/08/18

重さ160キロの乳幼児

2歳以下の乳幼児連れで旅客機に乗るときには、
子供の航空券は無償だけれども座席も確保されない。
子供は親のヒザの上に抱っこするのが基本だ。
そしてシートベルトをするときには、
子供も一緒にシートベルトをしてはならない。
少し前にも話題になっていたけど、飛行機の常識だ。
まず親が普段通りにシートベルトを締めたうえで、
子供はしっかりと抱いておけと指示される。
ま、それでは緊急時には子供は助からんだろうとは、
CAもうすうす気づいているだろうけど言わんよね、わざわざ。
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シートが壊れるような衝撃ならあきらめるしかない。
しかしシートは前方向16Gの動荷重にも耐えられる。
そして、この荷重までは乗客も生存の可能性が高い。
しかし体重10キロの子供は16Gで160キロにもなる。
とても親の腕では安全に支えきれないだろう。
ではどうすればいいのか。
ちゃんと子供用にも1席確保して(運賃を払って)
FAAなどで認可された後ろ向きチャイルドシートを使う。
NTSB(米運輸安全委員会)はそのように推奨している。
貧乏人には厳しい話だけど、
だから自動車のように義務化はされていないし、
航空会社の対応もまちまちなのだろう。

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2017/08/17

続・どう整理していくか

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いよいよフィルムのスキャンも先が見えてきたので
本気で整理の方法を考えないとならない。
テーマごとに分類していくか、撮影日ごとに分類するか。
でも撮影日なんか、ぜんぜんわからんのもあるし。
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ネガからスキャンした画像とポジからスキャンした画像は
別モノとして分けるかゴッチャにするか、
カラーとモノクロについてはどうするかという問題もある。
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とりあえず手をつけながら考えるという手もあるが、
現状でスキャンしたデータ量は2TBを軽く越えている。
1カット平均10MBくらいのサイズだから、
単純計算で20万カット以上はスキャンしたことになる。
実際に数える気にもならない数だ。
「とりあえず」にしても、手をつけるには相応の覚悟がいる。
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まだ覚悟がない(涙)。

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2017/08/16

某国版A-9

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数年前にアメリカの某所で見た某ジェット機。
こんなもん買ってどーすんのと思ったけど、
とりあえず買えるチャンスがあるなら買ってしまうのだろう。
その後も「飛んだ」ってニュースを聞かないのだけど。

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2017/08/15

後づけの展望デッキ

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関西国際空港が開港した1994年に、
仙台空港は新しい(現)ターミナルビルを着工した。
全面的に完成したのは3年後の1997年。
エプロン側に大きなガラス面を設けた吹き抜けの空間に
関空ターミナルビルの影響が強く感じられたが、
展望デッキがないというクソなところまで一緒だった。
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ところが仙台空港は2010年に展望デッキを新設した。
上の写真は2001年に撮影したものでノッペリしているが、
いまは白い矢印のあたりに展望デッキが作られている。
構造上、そんなことができるのかと驚いたが、
東日本大地震の揺れにも耐えたから大丈夫なのだろう。
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仙台空港の展望デッキは当初は有料だったが、
昨年7月から無料化された。そんなところも素晴らしい。

2011年の東日本大地震の津波被災前の記録として、
2001年に上空から撮った仙台空港周辺の写真を
右のサイドバー、マイフォトのアルバムで公開した。

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2017/08/14

スパイラル蛍光灯

蛍光灯は蛍光管に塗られた蛍光体が光を出す、
ということは理科で習ったのだったか技術家庭だったか。
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スパイラル蛍光灯がでたとき、
なるほど蛍光管の表面積を広くして明るくするのかと思い、
でも半分はトグロの内側向きだから関係ないじゃんと思い、
よくわからんから調べたら蛍光管は長い方が効率がよく、
長さをかせぐためにグルグル巻きにしているのかと知った。

写真は我が家のではなくてホテルについていたやつ。
僕の趣味ではないです、残念ながら。

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2017/08/13

搭載時には翼を伸ばしていた

スカイレイダーは武器を吊ったまま翼を畳むことができる。
搭載作業はどうしていたのだろうと気になっていたが、
「余裕があるときに爆弾とかを吊っておいたあと、
翼をたたんで待機させておけば迅速に出撃できる」と
海兵隊の現場の連中が思いついたものらしい。
ただし想定外の使われ方だったので故障も頻発した。
その原因究明でそうした運用が明らかになったようだ。
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すごいなと思うのは、規定違反だからと禁止するのではなく、
強度計算をやりなおして「大丈夫」と追認したうえで、
故障対策には軸部分の精度を高めて応力集中を解消。
結果として、さらに使いやすい飛行機にしたことだ。

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2017/08/12

スネークティース

サメの口を描いた軍用機は珍しくないけど
これは機体の愛称通りにコブラだ。
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描かれた目が細い縦線なので、たぶんそう。
いつ、どこで撮ったのか忘れた。

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2017/08/11

パイロットの三割頭

シミュレーターではなく本物のジェット機を
初めて訓練として飛ばしたのはサンタフェ空港。
3本の滑走路が中央1点で*形にクロスしている。
つまり関連する方位は6つある。
クロスウインドやベースレグも入れると12方位だ(涙)。
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それでも使うのが1本だけならば簡単なのだが、
RW33でタッチ&ゴーをしたあとRW02で着陸しろとか。
教官が隣に座っていれば指さしてもくれるのだろうが、
グライダーみたいに後ろに座られて、
インターコム通して英語でギャンギャンいわれてもお手上げ。
飛行中のパイロットは三割頭とか六割頭とかいうけど
地上で考えてもクラクラする、酸欠だ、やばい。

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2017/08/10

日本で1機の飛行機たち

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さて何という飛行機でしょうかと質問しようにも
軽飛行機は旅客機や戦闘機ほどメジャーじゃないから
変わったシルエットでしょと言っても通じるかどうか。
答は以前にも紹介した大西式OX-5スバルプレン
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こちらも既出のスズキ式SG-5日大式N70シグナス
SG-5はキャノピー付だが、オープン時代の方が好みだな。
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そういえば、しばしば色を変える飛行機でもあった。
個人的には真っ赤が好きだったけど。
オシコシほどの規模じゃないけど、
昔は桶川あたりでたまにフライインも開催されていた。
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濱尾豊さんの「しおからとんぼ」も桶川で撮影。
ただしイベントではなく、普段の桶川。
コクピットにカバーもかけずに、飛ぶところだったのかな。
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別の用事で調布から飛んだついでにパパッと撮ったから
じっくり見てきたわけではない。
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福井の前田利丸さんが手作りしたフラグラー・スクーター。
アメリカから図面を取り寄せて6年で完成させたという。
Ja9aub_002
福井さんは2010年、83歳まで飛び続けたそうだが
航空身体検査に通らなくなって空からは引退した。
その後、この機体を引き受けてくれる人を捜しているという
記事を見つけたけど、どうなったのかは知らない。

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2017/08/09

新型機の非常口マーク

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ボーイング787では、非常口のサインに
言葉に頼らないピクトグラムが使われるようになった。
米系航空会社以外は、たいてい採用している。
エアバスA350XWBでもピクトグラムが標準だ。
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さらにA350XWBでは、ドアの外側にも表示がある。
「ここから逃げろって、機内に逃げるのかよ」とか
思われそうな気もするが、では787はどうか。
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昔ながらの「非常口」「EXIT」の文字。
見慣れているせいか「機内に逃げろ?」とは思わないが
意味するところはピクトグラムと同じであるはず。
ならばエアバスの方が合理的なのではないか。

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2017/08/08

ハイパーライト

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撃墜した敵機の残骸を調べる人たち。
勝利の記念に機体の一部を持ち帰りますか。
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というのはもちろん嘘ですが、零戦みたいな分割
ULPのハイパーライト。大利根で取材したとき。
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高橋淳さんが飛ばしてくれたのを空撮した。
けっこう速くてキビキビと飛ぶ機体だったから、
カメラ機はULPではなくてセスナ152(150?)を使った。

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2017/08/07

田舎のバス

沖縄にはもう何十回となく行っているが
まだ野性のハブに出くわしたことはない。
でも、ハブのいる島ではやはり注意はしている。
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右側にバス停が見える。ヤブがあって、石垣もある。
島の人は「こんなところにはいないよ」と笑いそうだが
少し離れた、開けたところで1日に数本のバスを待った。
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昔の流行歌みたいに「おんぼろ車」が来ると風情だなあと
ヨソ者の身勝手さで期待したけど、
うちの近所で走っている路線バスと同じ車種だった。
ちょっとガッカリしたけど、クーラーが効いていてよかった。

昔の流行歌の歌詞の一節でも書きたかったけど、
カスラックとかうるさそうだからやめておくよ。
ちなみにカスラックでググると、
なぜかJASRACというところが筆頭に表示される。
グーグル検索、また勝手なことして(笑)。

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2017/08/06

A380の最大離陸重量は575トン

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まだ工事中だった頃の羽田空港D滑走路。
手前側は埋立てだが、多摩川の河口にかかる部分は
水の流れを妨げない桟橋構造になっている。
資料によれば、設計に考慮した最大の航空機荷重は
「A380(最大離陸重量400トン)」と書かれていて「?」。
A380の最大離陸重量は400トンではなく575トンだ。
最大離陸重量という言葉の使い方を間違ったのだろう。
実際には、D滑走路の運用については
機種にかかわらず機体重量400トンに制限されている。
機体重量が400トンを越えることもある旅客機は、
今のところA380と747-8くらいだけど、
これらも重量を抑えればD滑走路から離着陸できるはず。
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一方で777シリーズでもD滑走路を使えないことがある。
最大離陸重量は351トンだからまだ余裕がありそうだが、
D滑走路には機体重量だけでなく、
メインギア1本あたりの最大荷重が139.5トン、、
タイヤ1本あたりは26.2トンまでという制限もある。
長距離便で重くメインギアが2本しかない300ERでは
こちらの制限を越えてしまうことがあるからだ。
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というネタもずいぶん前に書いてあったのだが、
やはり月刊エアラインで「空港特集」をやるというので
ネタがだぶらんようにしばらく公開は控えることにした。
なんかデジャヴのような

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2017/08/05

リゾートアイランドのホテル

状況が状況なので写真もスマホでおざなりだが
せっかくのリゾートアイランドのホテル、
目の前はビーチじゃくて倉庫みたいなのが建っているし
ホテルのプールにも水はなくてカラッポだった、夏なのに。
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空港からの道すがらに見たビーチに面したホテルなら、
たぶんプールにも水が入っていただろうけど、
宿泊費はここの3倍くらいはしていた。
ならばボロくても安いホテルの方がいい、出張では。
機会があればまた泊まりたい、出張なら。
また出張いきたい。

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2017/08/04

本当に楽しいと思う?

飛行機撮影が趣味の、まだ彼女のいない野郎ならば、
同じ趣味の彼女と一緒に飛行機を撮りに行けたら
最高に楽しいだろうなーとか妄想しているかもしれない。
気持ちはわからないでもない・・・・・・・・が、
老婆心ながら、「本当に楽しいと思うか?」とあえて問う。
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まあ、人生の楽しみなんか人それぞれだし、
そもそもオッサンの言うことなんか気にすることないし、
彼女ができそうなチャンスに遭遇したときには
「まてよ」などとためらうべきではないけれども、
とりあえず忠告はした。健闘を祈る。

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2017/08/03

がんばれスズさん1号

ずいぶんにぎやかだなあとベランダを見たら
今度はスズメが2羽遊びに来ていた。
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1羽(右)はまだクチバシの横に黄色が残っている。
親鳥よりも図体はでかいくらいだが、まだヒナだ(笑)。
このところ子連れのお客さんが多くて、うれしい。

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2017/08/02

リノ・エアレースの思い出

1977年の初渡米でリノ・エアレースを訪ねたのは
古い飛行機のレースなんか長くは続かないと思ったからだ。
現地で知り合ったリノ常連のプレスの人たちからは、
「新しいパーツもどんどん作ってんだから」と笑われた。
確かに40年もたった今もレースは続いている。
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当時でも、日本から100人は来ていると聞いて驚いた。
まだ成田空港が開港する前のことだ。
西海岸往復の格安航空券は大卒初任給の2倍近かった。
僕は工事現場で半年バイトしてやっと旅費をためたのだが
十代の実家暮らしでなかったら、とても無理だったろう。
お金のある人ってたくさんいるんだなあと思った。
僕は食事がわりにリンゴで飢えをしのぐような旅だった。
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そこで知り合ったFさんはF1クラスに参戦を予定していた。
そのために中古のレーサーを買ったが、
練習飛行の最中に墜落して亡くなった。
後に奥さんが開いた店のオープニングパーティーでは
大学を卒業したばかりだった僕も末席につかせてもらった。
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1991年には、僕たちも金を出しあってリノに参戦した。
それが日本からの初参加ということになるが、
初挑戦をしたのは亡くなったFさんということになる。
やはりFさんの奥さんに挨拶した方がいいか相談しようと
1977年に会った常連カメラマンさんに電話したら、
本人はいなかったけど事情はよく知っている奥さんが出て
いまさら蒸し返さない方がいいだろうといわれた。
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僕たちは前年の優勝機を買ったが、ヤバい飛行機だった。
クロモリのフレームには大きなクラックが入っていたし、
タブのワイヤーはヨレヨレで昇降舵がフラッターを起こした。
本当は改造までしたかったけど、修理が精一杯だった。
パイロットも不安そうだったけど、本番では優勝できた。
「前年の優勝機を買って優勝してもなあ」
予想通りそんな批判をするヤツは後を絶たなかったが、
前年のタイムを上回っての優勝だ、文句あるか。
まあ、勝っていなかったら、「よくがんばったな」とか
言ってもらえたのかもしれないけど、世の中そんなもん。
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その後、常連カメラマンさんにはおっかない顔で
「おまえらよりも先に挑戦したヤツがいたんだからな」と。
そんなことは百も承知だから事前に電話したのですが・・・
といったら常連さんは「むう」という感じで黙ってしまった。
そのへんの話は奥さんから伝わっていなかったらしい。
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写真のスキャンなんかしているせいで、
なんだか、いろいろ面倒くさかったことが思い出される。
ちなみに、このときの個人的な持ち出し金額は
1995年の零戦のときよりもはるかに大きかったけど、
「新車買った方がよかったかな」とは思っていない(笑)。

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2017/08/01

「かぜたん」の時間差

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何度か書いているけど、
「かぜたん」の記事はリアルタイムではなくて予約公開だ。
おおむね1カ月先までを目標に記事は書きためてあって、
日付が変わった頃にひとつずつ自動公開される設定。
だから「海に行きたい」とか公開したその日に
実は海の見えるホテルで泡盛を食らっていた可能性もある。
あくまで可能性の話ですけど。
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あいにくヘソまで日焼けする状況ではなかったけど、
道すがらこんなのも撮れたらしい。

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