プレッシャースーツ
伊丹初遠征のあとは、なぜか小松に寄っていた。
大学生の頃には「ついで」の範囲なのかな(笑)。
そこで撮影したF-104J、拡大してまた「おおっ」と。
パイロットが高高度用の気密飛行服を着ている。
F-104では高度4万5千ft以上を飛行する場合に着用した。
理屈はともかく、実際に飛んでいるのは初めて見た、
・・・・ということを37年目にして初めて知った(爆)。
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伊丹初遠征のあとは、なぜか小松に寄っていた。
大学生の頃には「ついで」の範囲なのかな(笑)。
そこで撮影したF-104J、拡大してまた「おおっ」と。
パイロットが高高度用の気密飛行服を着ている。
F-104では高度4万5千ft以上を飛行する場合に着用した。
理屈はともかく、実際に飛んでいるのは初めて見た、
・・・・ということを37年目にして初めて知った(爆)。
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フィルムのデジタル化を「終活だろうな」と言い放つのは
不健康な日々をおくるオリンポスの四戸哲さんらしいが、
実は僕が最初に終活を考えたのは20代の頃のことだ。
父親が亡くなったときに葬式の費用にたまげて、
自分が死んだら自分の葬式代も出せないと焦った。
そこに鼻のきく郵便職員が積立簡易保険の勧誘にきて、
僕は無理して15年満期の保険に入ったのである。
バイクに乗って、飛行機に乗って、ジャンクフードを食って、
20代の頃は、30歳まで生きられるとは思ってなかったし。
<パイロットは無事でした。そう簡単には死なねえよ>
ちなみに満期を迎えた保険金はマンションの頭金になった。
葬式代よりは有意義な使い方だったと思う。
だから20代の皆さんも、サッサと終活をはじめるといい。
15年もしたら、新築マンションが買えるかもよ。
それまでは、殺されたって死んじゃダメだぜ。
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大学で実験用の暗室を使わせてもらえるようになったので
自分で現像やプリントができるようになった。
しかし、僕はフィルム現像が下手だった(涙)。
<初めて自分で現像してみたフィルム。哀れ>
これでサッサと挫折しなかったのだけは評価しよう。
だが、その後も数々の傑作写真(推定)が幻となった。
<これは2回目の現像。現像ムラがポップだ(笑)>
フィルム現像には正しい手順や温度、時間管理が必要だ。
まさに僕の得意とする作業であるはずなのだが(棒読み)。
<同じフィルムで助かるのもあるけど、運まかせでは・・・>
そこで絶対に失敗できないものは現像所に出したが、
現像所の並の仕上げは僕の成功した仕上げよりも悪かった。
ならば、失敗しないように練習するしかない。
<おお、カッコいい。4~5回目の現像、成功してよかった>
でもモノクロを使っている間は、ずっと失敗に悩まされた(涙)。
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昔の伊丹の撮影ポイントについて、ごもっともです。
なぜか、ちゃんと状況までわかるように撮ってあった。
伊丹空港の東水門ポイント。クソなフェンスのない時代。
このへんも、展望公園として整備してくれればいいのに。
現実は、むしろ展望デッキの環境悪化も懸念されるほど。
民営化すればよくなるかも、というのは幻想だったか。
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スキャンしたフィルムは潔く捨てている、
というと、特に同業者の連中には驚かれる。
僕が持っているような家庭用のスキャナーには
フィルムが持つ情報を完全に読み取るほどの性能はない。
だからデジタル化しても、オリジナルは残すべきなのだと。
でも最近、セッセとデジタル化しているのは、
フィルムを入れておく場所がないというのが最大の理由だ。
一時はファイリングキャビネットや納戸に入りきらずに
あふれた古フィルムが段ボールに積み上げられていた。
これを解消するのが目的だから、捨てなくては意味がない。
いまは、少なくとも段ボール箱は姿を消している。
あと残念ながら、僕の写真の多くは、
フィルム情報を最大限記録するとかいう以前ではないかと。
とりわけネガフィルムはスキャン精度を上げていっても
ただフィルムの粒子が拡大されていくだけという感じだ。
それ以上に高精度でスキャンする価値があるのやら。
しかも、保存しておいても劣化はどんどん,進行していく。
もちろんフィルムを捨てることには抵抗がある。
あとで後悔するかもしれない。
でも、そんなことを言い出したらきりがない。
デジカメでも昔の低画素機で撮った写真とか残念だけど
それはまあ仕方ないよねと割り切るしかないのと同じだ。
だから人に積極的に勧めるつもりはないが、ご参考まで。
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<処理の途中のPC画面をデジカメで撮影したもの>
Aで示した濃い緑色の部分がもともとの状態。
範囲を指定して「退色復元」をするとBのような色になる。
ところが画面中央部(C)に濁った部分が残る。
退色具合が均一ではないからだろう。けっこう多いケース。
で、どうやってこの濁りを消すかといろいろ試すわけだが、
そこまではまだ手がまわらないので放ってある。
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今は誰もがレンズ性能をシビアに論評したりするけど、
また、そんな情報がネット上にあふれているけど、
昔は、少なくとも十代の頃の僕はあまり気にしなかった。
というか、まさか大手カメラメーカーが出しているレンズに
写りのよくないものがあるなんて考えたこともなかった。
そもそもレンズのチョイスもそれほど多くはなかったし、
レンズの価格差はF値の違いだろと単純に考えていた。
また昔はすべてマニュアルでピントや露出を合わせていた。
いいレンズを追求する以前に、腕を上げなくては仕方ない。
<これって僕のせい?って、しばらく頭をかかえた>
借り物のレフレックス500mmかな。ひどい周辺光量落ち。
もちろんフィルム時代は現像するまで結果はわからない。
「絞ればいいじゃん」という人は反射式レンズを知らない。
レフレックスは絞りが固定でさらに絞れないのだ。
これは借り物だったけど、FD100-300mmは買ったかな。
「こんな便利なレンズが出たんだー」と喜んで、
「世の中に、そんなにうまい話があるはずがない」と知った。
<それと比べると現行のEF100-400は奇跡だな>
なお高いレンズなら写りもいいわけではないのでご注意。
たとえばEF24-105mmLは「L」とついているくせに駄作。
普及判の「L」なしの方がずっとよく写るけど、
造りがあまりよくないので酷使しているとガタが出てくる。
仕方ないので2本買って修理しながら交代で使っているが
間もなく新型の「L」が出るので、いちおう楽しみにしている。
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エドワード・マロニーさんが亡くなった。
唯一のオリジナルエンジンで飛行可能な零戦を保有する
プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館の創始者だ。
ここには飛行可能にレストアされた飛行機がたくさんある。
1機あたり数千万円から数億円以上の価値がある。
それを、なぜそんなにたくさんの集めることができたのか。
他人のフトコロはのぞきたくないが、実は石油王であるとか
大企業の社長であるとか、謎だったので聞いたことがある。
1995年の零戦来日時に、僕は飛行許可取得を担当したので
マロニーさんとものんびり世間話をさせていただけたのだ。
「昔は高くなかったんだよ。それどころか誰も価値を見いださず、
用が済んだ飛行機はどんどんスクラップにされていった。
それではいけないと、少しずつ集めていったんだ」
先見の明というよりも、飛行機が好きだという気持ち。
それがウォーバードの価値を見なおす潮流を生み出した。
僕は、そう理解している。
幸せな人生だったと信じたい。
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期限切れの近いマイルを消化するために訪ねたのは、
丘珠の航空ページェントだった。
夏の那覇は風向きが悪く、嘉手納にF-22はいない。
熊本を応援しようにも、ホテルがぜんぜん取れない。
だいたい予約時には梅雨明けのタイミングがわからない。
タイミングのわかる頃には特典航空券が取れない。
ならば、梅雨のない北海道は比較的安全パイといえる。
航空雑誌はもう他のカメラマンに取材を依頼していたので
僕はオマケ、バックアップ、遊軍ということになるが、
鶴丸のHAC機などストックしておきたい被写体もあった。
まあ、気分的にはオフのようなものだといったら、
「オフのときまで飛行機を撮りに行くのかよ」とのご意見も。
いや、オンの撮影とオフの撮影ではぜんぜん違うでしょ。
前日は新千歳から丘珠に直行して予行を撮影した。
カメラ一式のほか2泊分の「お泊まりセット」もあったけど、
オフだからTシャツとパンツと靴下を2つずつだけ。
これがオンだと、もう少しかさばるドレスコードとなって大変。
本番はそこそこ早起きして行ったつもりだったのだけど、
行列の長さに早々に入場をあきらめて隣のツドームへ。
地上展示機とか会場の雰囲気とか撮れないけど、
「個人的にはぜんぜんオッケー」といえるのもオフだから。
しかし、このところスキャンで古い写真ばかり見ていたから
いまのカメラは楽チンでいいなーと思った。
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スキャンしていると、ときどき僕自身の写真も出てくる。
頭の中は若い頃とたいして変わっていないつもりだが、
肌ツルツルでボンクラな顔を見ると、やはり老けたのだと思う。
いまはフリーランスの編集者である佐藤徹也さんは、
「たまに昔の自分の写真を見るのは悪いことではない」という。
山を得意とする佐藤さんは、昔の写真を見て
もう若いときのようには無理できないと自覚することが
遭難やら事故やらを防ぐことになるのではというのだ。
<それ以前に、なんかムカついたりするんですけど>
ヘリの後席でサボる、「まだ無敵の30歳」くらいの頃。
さらに10年くらい前と比べると、明らかにかわいげがない。
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昔のレンズには「赤外指標」というのがついていた。
赤外線と可視光ではピント位置が変わってしまうので
それを補正するためのマークである。
そして赤外フィルムというのも、ちゃんと売っていた。
赤外線写真というと夜の公園でのぞき見とか、
そういうのを思い浮かべる人もいるかもしれないが、
飛行機マニアなら目標補足センサーの方がポピュラーか。
僕も、どんな風に写るのかと嘉手納で使ってみたことがある。
排気管あたりがボオーっと光ったりして、と思ったのである。
<光らなかったです>
赤外指標で補正したつもりでもピントなんか合ってないし
ぜんぜん面白くないなあと、その1本きり。
今なら、せめて厳冬の北海道の朝に試せよくらい思うけど。
そもそも、これ本当に赤外線写真になっているのだろうか。
ただの失敗した可視光写真みたいなんですけど。
<ほぼ同じときに撮った同じ機体の普通の写真>
まあ、いろいろ違って写ったのは確か。
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1978年8月に桶川で飛んだときの零戦52型。
昔のネガを見て思うのは撮影枚数が少ないこと。
フィルムが貴重だったせいもあるけど、
モータードライブを持っていなかったということもある。
マニアでモードラつけているヤツなんかいなかったし、
そもそもモードラのつくカメラはごく限られていた。
そのかわり、いかに早く巻き上げられるかを練習した。
といっても、せいぜい毎秒1コマ+がいいところかなあ。
なにしろフィルムを巻き上げるたびにカメラが揺れるから
また安定させながらピントを合わせなおしてシャッター。
下手に「連写」しようとすると、むしろ結果は悪くなった。
モードラを買ったのは、大学時代に仕事が増えてきてから。
「連写」よりも巻上げ中にもカメラが安定するのがよかった。
ただ、昔のモードラは重くてゴツかった。
単3電池10本をグリップに入れて、それを2台分。
取材旅行ではフィルムだけでなく予備電池もどっさり。
そういう時代に体力のある年齢でよかった。
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今回のゴジラはネタバレに関して
いつも以上に注意が払われているようで
ならばと僕も事前情報はできるだけ遮断していった。
ただし通販でアホなオモチャをポチる常連なので
そういうサイトが「おすすめ」として表示してしまう
変チクリンな生き物については知っていた。
まったく欲しいという気にならないひどい造形だ。
<ならば、なぜここにある?(爆)>
まさか、こんなもんを「かわいい」と思うようになってしまうとは。
もちろん定価より高く売ってるアマゾンでは買わなかった。
アマゾンのマーケットプレイスって
いわゆる転売屋だの、偽のコピー製品を売る業者だのが多い。
最近、価格では負けることが多いようだけど
ヨドバシは今のところそういう心配がないのがいい。
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酷暑の今月の電気代はすごそうだなとビビるけど、
エアコンはもはや家族とPCの健康には不可欠だし
国民健康保険の月々の支払額と比べたら屁でもないと
そう割り切るのが精神的に健康なのかどうかわからんけど。
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<キーウエストで撮影したカッコいいRA-5Cビジランティ>
日本ではついにみることができなかったので感激した
・・・・って、39年前の話ね(苦笑)。
もっぱら偵察機として使われたが、
ベースとなったモデルは核攻撃だけを想定した攻撃機。
それにしても大きな飛行機だ。
こんなものを積むのだから、空母はどんだけ大きいのか。
ちなみに、この前の「謎の記念写真」はこのへんで撮った。
その旅のなかで吉祥寺の我が家から一番遠いところだから、
という理由だったと思い出した。
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<鹿児島空港で撮影した日本内外航空のアイランダー>
1978年9月に撮影。
日本内外航空で画像検索しても、
僕のトライランダーの写真が出てきたりして、
アイランダーの写真はまったくひっかかってこない。
これではいかんと思うので1枚公開する。
日本に確かにあった航空会社はしっかり記憶しておきたい。
あいにく僕もモノクロ写真しかないみたいだけど、
「それなら俺の方がマシ」という人が出てくるかもしれないし。
<ついでに調布で整備中のトライランダーも右側を追加>
<それから、やはり日本内外航空のセスナ402B>
これも、やはり奄美の離島間の旅客輸送に使われていた。
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