震災の日から2年
僕は羽田で取材中に地震にあい、その日は家に帰れなくなった。
空港で用意してくれた災害用の毛布を冷たい石の床に敷き
カメラバッグを枕に、そしてジャケットを掛布団がわりにして
仮眠をとった。いや、しばし爆睡した。
<赤iい線で囲ったところが僕の寝床>
ベンチの上で寝ていた同行の編集者が、
「よく、いびきまでかいて寝ていられるよね」と呆れていた。
自分だってしっかり寝ているのが写真に写っているではないか。
ま、寝られるときに寝ておくのもサバイバルの基本だろう。
それに暖房も切れず、毛布も食料もトイレも喫煙所まである
空港にいられたのは、とても恵まれていたと思う。
少なくともJRの駅を追い出された人よりも千倍は恵まれていた。
カメラはあったけど、まったく写真を撮る気分ではなかった。
ちょっと撮ってみたけど、すぐにウンザリしてやめた。
1年半たってはじめて取材で仙台に行ったときも
空港で仕事の飛行機の写真は撮っても、
それ以外の津波被害の爪痕とかは撮る気にならなかった。
いいとか悪いとかじゃなくて、そうだったということ。
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