黒崎砲台跡
太平洋戦争当時の日本海軍の戦艦名はすべていえるが
そこに戦艦「土佐」の名前は入っていない。
「長門」や「陸奥」をさらに大きく改良したモデルだが
ワシントン軍縮条約によって建造途中で廃艦となったからだ。
ただし姉妹艦の「加賀」は空母として完成した。
土佐の主砲塔のひとつは、長崎県の壱岐要塞に運ばれて
黒崎砲台として使われた。
主砲塔がどのくらいの重さなのかは知らないけれども
どのくらいバラバラにできるのかも知らないけれど
「よくぞこんなところまで運んだなあ」という高台に跡がある。
40㎝の主砲塔ってどんなだろうというのは、
ロサンゼルス港で博物館になっている戦艦アイオワを見てから
なんとなくイメージできるようになった。
土佐の主砲は二連装だったけど。
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