本当は裁判員制度なんかいらないけど
裁判員制度が導入された理由のひとつは
それまでの裁判が一般人の常識では理解しにくかったこと、
さらにいえば「釈然としない」ことが多かったからだと思う。
僕自身、裁判というのは法律の専門家が法の網をかいくぐり
いかに自分に都合のいい結果を出すかの勝負だと思っている。
たとえ「それって、どう考えても変でしょ」と皆で思っても、
「でも法律ではこうなるのだから」と押し切れた方が勝つ。
そんな風に思うのは、僕も裁判に巻き込まれたことがあるからだ。
以前住んでいたマンションのオーナーが訴えられて、
なぜかついでに賃貸の住人全員も訴えられてしまった。
ただそこを借り、暮らし、きちんと家賃を払っていただけなのに。
「そんな馬鹿な話があるかい」と、訴えた側の弁護士に連絡した。
言い分は理解してくれたと思うが、状況は変わらなかった。
弁護士は依頼者の、さらには自分の利益を追求するのが仕事だ。
そこで良識や常識、正義を語ってもまるで意味がないとわかった。
僕は自分では立派と思う意見書を書いて裁判所に出すことにした。
一人で戦って、もちろん勝つつもりだったが…。
ちょっと不安だったので(笑)、信頼できる弁護士に相談してみた。
状況を聞いた弁護士は「ああ、このままでは勝てないな」といった。
「どうして?」と自らの常識を根拠に驚いた僕が甘かったのだ。
結果的に、その弁護士のおかげで訴えは取り下げられたが、
「法律の使い方」を知らないと大変な目にあうと痛感した。
また漠然と「正義の味方」と思っていた弁護士像も崩れ去った。
尊敬できる、いい弁護士もたくさん知っているが、
全体的には悪いイメージの方が勝ってしまった、残念だけど。
僕が巻き込まれたのは民事だったけど、
「これって変じゃない?」と思うのは刑事も同じだ。
たとえば殺人事件でおなじみの「精神鑑定」とか「責任能力」とか。
人を殺すなんて、まともな精神状態ではできないのだから
多かれ少なかれ精神には問題があるんじゃなかろうか。
でも精神鑑定をして、異常ならば罪を問えないとは理解できない。
その妥当性や根拠は法律の専門家にも何度か質問してみたし
資料もずいぶん読んでみたのだが、さっぱり納得できない。
でも弁護側は、それを何度も繰り返し前面に押し出してくる。
そんな姿勢も裁判員制度ができた理由のひとつと思っている。
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