国分寺の思い出
小学校に入る前の短い期間ではあったが国分寺に住んでいた。
「どんぐり幼稚園」と呼ばれていた国分寺幼稚園に通い
その由来となったどんぐりの木から落ちて呼吸が一瞬とまったり、
戦争ゴッコでは容赦なく石を投げ合っていたので
それがオデコに当たって血がだらだらと流れたことも覚えている。
よく先生はとめなかったもんだ。いい時代だった。
幼稚園が終わったあとは、ときどき近くの線路に遊びにいった。
当時はそんな名前すら知らなかったが、西武多摩湖線。
東京では珍しい単線で、たぶん柵なんかなかったから入り放題。
線路に耳をつけると、接近中の列車が見える前から音がした。
そこで僕らは線路の脇の土手に身をかくして、
なんとなく敵に見立てた列車をやりすごしたのである。
でも運転手さん、そんなクソガキどもが見えていたんだろうな。
いつ飛び出してくるかもしれないと、怖かったかもしれない。
あるいは単純に、面白がっていたかも。
あとで「お金をおくとペッチャンコになる」という遊びも聞いたが
幼稚園児がそんなことにお金を使えるはずがないのは幸いだった。
遠くでも、車が見えたらもう道を渡ってはいけないといわれた時代。
それでも道を渡るのに苦労はしなかったという時代の話だ。
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