ゆらゆらでもAF
僕は1991年にキヤノンEOS-1を初めて使ってから
もうピント合わせでは機械にかなわないと思った。
それ以前のAF機とは、まるで桁違いの性能だった。
雑誌のテストで使ったのだが、そのあとすぐに自分用に買った。
まだAFを使うのは邪道であるという偏見の根強い時代だった。
だが、うまく動いたときはとても人間には太刀打ちできない。
ならば「いかにカメラのAF機能にうまく仕事をさせるか」が
これから求められるピント合わせの技術になると思った。
いまでも、その考えは変わらない。いかにカメラをおだてるか。
<しかし、よくこの陽炎でもピントを合わせるもんだね>
空気がゆらゆらしているのはAFにはあんまり影響ないんだろうか。
ただピントが合っている、というだけで使いモノにならない写真だが。
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