韓国空軍「復活号」
<ソウルの戦争記念館に展示されている「復活号」>
以下、ハングルが読めないのでちょっと自信ないのだが…。
まず、この飛行機の開発がはじまったのは1953年6月のこと。
韓国空軍技術学校の教官と整備士により独自に設計・製作され、
同年10月に試験飛行に成功したという
2人乗りの偵察/連絡機で、命名は当時の李承晩大統領。
1960年まで実際に空軍で使われていたというが、
その後は韓国航空大学の前身の学校に寄贈され…、忘れられた。
この機体の設計者であるイ・ウォンボク空軍予備役大佐は
1990年以降、機体の消息を探し求めたが、2004年1月に
大邱慶尚工業高校の地下倉庫で骨組などを発見。
空軍の協力を得てレストアし、2004年10月に完成した。
2008年10月1日(国軍の日)には文化財として登録されている。
ただしエンジンはなく、カウリングの開口部もペイントでの再現だ。
この飛行機でとりわけ気になるのは、独特の尾輪配置である。
短いキャビンの後端、胴体の半分あたりに二重に尾輪を装備。
どうして、このような配置にしたのだろうか。
通常の尾輪配置よりも重量を軽減できるとも思えないし、
空気抵抗だって胴体を素直に伸ばした方が小さいだろう。
いわゆるホイールベースも極端に短くなるけど
尾輪式の場合はあんまり直進性には関係ないのかな。
イ・ウォンボク予備役大佐は80歳を越えてご存命のようで、
「2008年、空軍を輝かせた人物」特別賞にも選ばれたそうだ。
ならば韓国の航空雑誌にインタビュー記事でもあるのかもしれない。
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