救急車30666号
もっと早く行くべきだったとは思う。なんとなく、ずるずると。
某消防署に、小僧を連れてお礼をいいに行ってきた。
小僧がバブバブの頃、そこの救急車のお世話になったことがある。
夜中に突然、呼吸がおかしくなって119番したのだ。
小僧は消防車や救急車が好きで、父子でよく眺めていた。
だから来てくれた救急車がどこの消防署の所属なのか
すぐにわかった。ああ、あそこの30666号車だと。
病院に担ぎ込まれた小僧は、そのまま緊急入院した。
おかげさまで今は元気にしているが、
緊急治療や入院のドサクサが一段落したときには、
もちろん救急隊員の方々は帰還されたあとだった。
ろくにお礼をいうこともできなかった。
それから、ちゃんとお礼をいいにいくまで、約10年。反省。
もちろん隊員の方の顔ぶれも変わってしまっているし、
救急車はどこかに救急出動していて見ることができなかった。
でもとにかく、改めて小僧と2人で、隊長さんにお礼をいった。
人は変わっても、救急隊員は皆さん小僧の命の恩人だ。
小僧の具合が悪くなったとき、迷わずに119番できたのは
行きつけの床屋さんのアドバイスがあったからだ。
「子どもの具合が悪くなったら、迷わずに119番しなさい。
ためらうことはない。タクシーのつもりで利用してもいい。
死んでしまってからでは、遅いのだから」
それまで僕は、119番で救急車を呼ぶなんて、
よほどの瀕死の事故でもない限りはできないと思っていた。
でも、子どもの命はか細い。
それが瀕死か瀕死じゃないかなんて、どうしてわかる。
だから、やばいと思ったら迷わずに119番しよう。
僕はそのときに決意した。そして、その通りにした。
119番して、よかったと思っている。
一方で、本当にタクシー代わりに救急車を呼ぶ人もいるという。
それが事実ならば、とんでもないことだと思う。
そんな安易な119番を減らすために有料化も議論されている。
もちろん、どんな議論も、どんどんやった方がいいと思う。
それで有料化が必要だというならば、それも仕方ないと思う。
ただそんな過程で、一部の医師の見たくない本音も垣間見た。
あるお医者さんのブログ…。
本当はその文章から想像されるような人ではないかもしれぬし、
現在の医療制度について柔らかく問題提議しただけかとも思う。
もちろん現場はきれいごとだけではすまないのもわかっている。
実際に、とんでもない患者さんも次々とやってくるのだろう。
でも、見なければよかったと思った。とても嫌な気持ちになった。
それが小僧を救ってくださった先生じゃなくてよかったと思った。
プロフェッショナルのブログは、だからむずかしいのだ。
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