なぜ二宮忠八さんは…
僕はパリのル・ブルジェ航空宇宙博物館が好きだ。
ちょっと時間があれば何度でも訪ねることにしている。
展示内容がそうそう変わるわけではないし、
博物館の作りもあまりいいとはいえないのだが、
やはりアメリカではない航空大国の軌跡は興味深い。
アメリカ一辺倒の日本の航空関係者にもぜひ見ていただきたい。
この博物館にはいくつものテーマごとの展示室があるが
第一次世界大戦前のパイオニアたちのなんと支離滅裂なことか。
よくもまあ、いろいろと試してみたものだ。
そして思うのは、やはり日本の二宮忠八さんのことだ。
烏型飛行器に続いて玉虫型飛行器の模型を完成し、
世界最初の飛行機の実現をめざした。
が、ライト兄弟の成功の報に挫折してしまう。
でも、どうして二宮さんはそこで研究をやめてしまったのだろう。
世界最初じゃなければ意味がないと思っていたのだろうか。
二番めだって、三番めだってかまわないじゃないか。
現にヨーロッパのパイオニアたちは研究をやめなかった。
「こんちくしょう、アメリカ野郎にやられたぜ」と思いながら、
その素晴らしさを素直に認め、挫折するどころか
ライト兄弟よりもよく飛べる飛行機の研究に力を注ぎ続けた。
そして、すぐにそれを達成した。
ル・ブルジェ航空博物館にはそんな挑戦者たちの七転八倒、
試行錯誤の足跡が数多く残されている。
だから僕には二宮さんが研究をやめたことが残念でたまらない。
そして、いつまでも「日本でもライト兄弟より前に…」なんて
負け犬の遠吠えみたいな事をいい続ける人たちには、
ぜひル・ブルジェを訪ねてみていただきたいと思うのだ。
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