くだらねー試験
<わかります?>
<わからないけど、楽しいです>
社会人になってから勉強するのが楽しいのは、
目的意識が明確だからだ、と思う。
これ勉強すれば自動車やバイクを運転できる、空を飛べる、
仕事に役に立つ、給料が上がる、感心される、自慢できる…、
あるいはそんな現実的な利益がなくとも、
成績を気にしないで学問に陶酔できるだけでも幸せだ。
だけど、こういう楽しさは子供たちには共感されないだろう。
なにしろ子供たちが置かれている状況はまるで違うのだ。
漠然と「将来のため」と、試験に追われ続けている。
目的意識が明確な子供は大人と同じく楽しめるだろうが、
それでも学ぶ意義の感じられない科目は苦痛だろう。
「勉強できるって、とても楽しいよ」なんていってる大人だって、
好きでもなく興味もない科目を山のように押しつけられて
試験の結果次第ではクビなんていわれたら、楽しくないだろ。
もちろん…、それでも子供には勉強が必要である。
なんたって「将来のため」だ(爆笑)。
が、そこにくだらない大人の感傷は押しつけたくはない。
ただ好きなものだけ、必要なものだけ自主的に選んだつもりの、
楽しいはずの大人の勉強も、ときに苦痛であったりする。
折に触れて思い出すのはアマチュア無線4級の試験。
ただ無駄な知識を暗記するだけのくだらない試験だった。
暗記するのが苦痛なのではなく、「どーしてこんな…」という
ムカつきを抑えるのが大変だった。
「なるほどなー」という学ぶ喜びのまるでない試験勉強だった。
このくだらなさは日本の電波行政の伝統なのかなとも思う。
航空特殊無線技士も同じようにくだらないものだった。
航空用の無線とかレーダーを使うための資格を取る試験だ。
ちなみにアメリカでは無線は操縦と一緒に学ぶだけでよく、
別にわざわざ免許を取る必要はなかった。
もちろん「免許が必要である」といわれてもかまわないが、
試験されることが実地ではほとんど役立たないのがトホホ。
試験に受かってもATCができるようになるわけじゃない。
免許不要のアメリカの方が、むしろ実践的に学べた。
唯一よかったと思うのは、免許のない人に自慢できること。
「くだらん資格だよ。もちろん持ってるけどさ」とかいって
悔しそうな顔をされると、ムカつく日々も楽しい思い出に。
いやー、くだらない試験勉強は人間性も歪ませるね。
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