波瀾万丈のYS-11
TDA、というより東亜国内航空のYS-11「あわじ」JA8665。
南北アメリカ・デモフライトのあとペルーのランサ航空で飛んだ。
ところが経営状態が悪かったランサ航空は間もなく倒産し、
支払いの終わっていなかったYSも借金のカタに押さえられた。
そこで実際にはどうやったのかよくわからないが、
夜間にこっそりペルーからアメリカに機体を引き揚げたという、
「ファイアフォックス」もどきの武勇伝も伝えられている。
その頃の日本にはまだ、そんなサムライたちがいたのだろう。
帰国後は整備されて日本国内航空から東亜国内航空で活躍。
写真は1975年頃に羽田で撮影したものだと思うが、
このあと1977年8月には女満別空港で胴体着陸。
だが洋行帰りの「あわじ」は修理されてしぶとく飛び続けた。
そして1996年には国内から引退してフィリピンに嫁入り。
そこで最後の活躍をしたあと、ついに解体廃棄された。
他にもオーバーラン事故を起こすなど波瀾万丈な機体だったが
最後まで乗客を殺すことなく天寿をまっとうできたのはよかった。
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