絶対音感という生き方
自慢ではないが、音痴だ。
5段階評価で音楽に4の成績がついたのは、
たまたま実技試験がなかった学期一度きり。
姉貴がくれたギターを少し練習したこともあるが、
一度それを録音した音を聞いてきっぱりやめた。
そんな音痴な男の息子がピアノを習いたいといった。
大喜びで近所の個人レッスンの先生にお願いした。
まだヘタクソ以前のレベルだが本人はいい調子。
家でも毎日楽しそうに練習している。
音楽のある人生はきっと豊かになるに違いない。
一方で「子供に絶対音感を…」といわれることも増えた。
親切でいってくれるのには感謝するが、やれやれ、
どうしてすぐにそうエスカレートしてしまうのだろう。
音痴な僕がいってもあまり説得力はなさそうだが、
絶対音感を得るのと音楽を楽しむことは別だと思う。
そして神経質すぎる知人を見ていると
それが絶対音感のせいなのかどうかはわからないが
少し音をはずしたからといってイライラされるよりも、
ゲラゲラ笑いとばしてくれる方がいいなと思ってしまう。
大げさにいうと、それは生き方なのだ。
「絶対の基準」に振り回されて生きるのは単純すぎる。
F-4ファントムⅡがアプローチしてくるときの
泣くような爆音が好きだったけど、
絶対音感のある人なら音符にできちゃうんだろうか。
まだ百里か那覇あたりなら聞くことができる。
音符にしてもらっても、僕にはちんぷんかんぷんだが。
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蛇足ながら、僕のカラオケ嫌いは音痴が理由ではない。
下手クソでも楽しそうに歌うのを聞くのはイヤじゃない。
ただやたらと歌えとすすめるヤツがウザいのだ。
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