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2004/10/11

ウンチのあとケツを拭けない男

世の中には家事をしない男も多いそうだ。
できない、やらないなど内容は色々だが、
どっちにしろ情けないもんだと思う。
家事というのは、生きていくうえで不可欠の行為だという点において、ウンチをしたあとでケツを拭くのと同じである。だから家事をしない、できないというのは、ウンチのあとで自分のケツを拭かない、拭けないようなものだ。

もちろん家庭の方針として家事はカミさんの役割と決めているケースもあるだろう。それはそれでかまわない。
でもひょっとして、そんな家庭では、
ウンチのあとカミさんが亭主のケツまで拭いてあげてたりして。
尾籠な比喩で申し訳ないが、
家事のできない亭主と、それを容認している家庭というのは、それくらい気色悪いということだ。

まあまあ健康な成人であるという前提だが、
「一人前である」というのは、
「自分でメシを食えて、ウンチのあとケツを拭ける」
ということだと思っている。

メシを食えるというのは、生きられるだけの金を稼げるということ。
ケツを拭けるというのは、生活するうえで必要な基本的な能力を備えているということだ。家事もこれに含まれる。

もちろん、ウンチのあとで自分のケツはふけるけど、あるいは亭主のケツは拭いてあげられるけれど、自分でメシを食えないという人も珍しくないだろう。
たとえば専業主婦。
これも、残念ながら僕には一人前とは思えない。

「そんなことを一人前というなら、一人前でなくてかまわない」
そういうのも、大いにけっこうだ。
もともと、こっちは少数派と割り切っている。

日本の社会は、こういう半人前同士がくっついた家庭を前提とすることが多い。夫婦観や男女観はもとより、国民年金の第3号被保険者などといった制度面でもそれは感じられる。
第3号被保険者制度を肯定する人は「専業主婦の家事や育児を労働として評価してウンヌン」という理屈をこねたりするが、家事や育児は専業主婦じゃなくたってやってるんだよ。なにしろウンチのあとで自分のケツを拭くようなことなんだから、やって当たり前なんだ。

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