赤江ふれあい広場
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若いころ、鹿屋基地の航空ショーを取材したあと、
初対面のご老人を鹿児島空港まで車でお送りした。
戦争中は百式司偵の偵察者だったという。
あいにくひどい渋滞で飛行機の時間には間に合わず、
空港近くのホテルまでお送りしたけど、
道すがらいろいろなお話を聞けて楽しかった。
僕自身は翌日に知覧を訪ねるつもりだった。
予約なしで知覧あたりのホテルを捜すつもりだったが、
暗くなってからの山道のソロドライブはおっかない。
とりわけ無念な気持ちで亡くなった人の多そうなところだ。
怖くてバックミラーも見られないかもしれない。
そんな話をしたら、ご老人は「私は会いたいなあ」と。
「出てきたとしても、みんな戦友だ」
なるほどと思ったけど、ご老人を降ろしたあと、
明るい市街地で最初に見えたホテルに泊まった(笑)。
大分では、例によって不要になった予備日を使って、
丹賀砲台跡を訪ねたことがある。
入口におじさんが1人いたきりでまったく人影はなし。
長いトンネルを1人で進み、砲台の基部に出た。
巡洋艦「伊吹」の主砲を流用した砲台だったが、
実射訓練で爆発事故が起こり、16名が亡くなった。
ため息をつきながら1人で歩き、そそくさと帰ったが、
ここにも「会えるならば会いたい」という人はいるのだろう。
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ボーイング737の工場があるレントン空港に建てられた碑。
またジェプセンかよと思ったけど、人違いだった。
でも、クレイトン・スコットって誰?
ボーイングに長く勤めたパイロットで、
ボーイング・フィールドにも最初に着陸したそうだ。
悪天候のため、まだ建設中だった滑走路に緊急着陸したが、
翌朝は5時半に、「当局にバレる前に」離陸できたという。
そんなエピソードだけでも、なんとなく好感をもてる(笑)。
2006年に101歳で亡くなって、レントン空港は
クレイトン・スコット・フィールドに改名された。
それでタクシーが行ってくれるのかどうかは知らないが。
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宮崎空港の仕事で2時間ほど自由時間を得たのだけど、
この天気では飛行機を撮っても仕方ない。
幸いに雨は降っていないので、お散歩に行くことにした。
空港からちんたら徒歩15分ほどで「北一駐機場」に到着。
セスナ206のフロートタイプ。
機内の補強はないように見えるから「なんちゃって」かも。
エンジンカウル右側のスリットも、なんだろうね。
寄り道しながらさらに15分歩いて、
宮崎特攻基地慰霊碑と門柱を訪問。
特攻とか思いついて実行させたヤツ、本当に許しがたいな。
ここから空港ターミナルまで戻るのは10分ほど。
時間があるのでさらに突っ切って管制塔方面に歩くと、
津波・水害対応型救命艇というのが展示されていた。
これで25席だそうだ。
最後に展望デッキに戻ったら掩体壕の説明板があった。
存在は知っていたけど、場所は知らなかった。
あと30分歩いたら行けたなと、
それだけの時間の余裕はあったなと思ったけど、後の祭り。
まあ、少しは次の楽しみを残しておいた方がいいでしょ。
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羽立峠にある特攻兵器、神龍と回天のレプリカ。
これはリアリティーを云々するものではないだろう。
垂直尾翼が取れてしまっていて、
頑張れば僕でも直せるだろうかと考えたけど、
あえて飛べないままの姿にしておいた方がいいと、
そういうことなのかもしれない。
神龍に関してはほとんど資料がないが、
試験飛行を行った楢林寿一さんの手記が比較的くわしく
(月刊航空情報1980年7、8月号に掲載。
別冊航空情報「日本の航空ミレニアム」にも再掲)、
設計した頓所好勝さんについてを1冊にまとめた
「マイウイング/頓所好勝の夢」(佐野寿人著/集英社)にも
数ページの記述と写真がある。
頓所さんの設計というのは、ちょっと驚いたけれども。
戦後は、美しい固定翼ハンググライダーを作った人だ。
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二宮忠八さんに関しては、故郷の八幡浜のほか、
京都の飛行神社も訪ねたことがある。
香川は何のゆかりだろうと思っていたけど、
軍隊時代にカラスを見て飛行を着想したところらしい。
看板に「世界初飛行原理着想の地」と書いてあって、
今さらタメ息も出ないけれども、やはり恥ずかしい。
「世界初」とか「ライト兄弟よりも早く」なんていうことを、
信じているおめでたい人はWEB上でもいっぱい見られる。
Wikiもあいかわらず無責任な匿名が書いたヨタ話そのまま。
日本を世界の笑い物にする陰謀かとも思ってしまう。
「二宮忠八飛行原理着想の地」ならば変ではなかったのに。
道の駅に「二宮忠八飛行館」が併設されているので
寄ってみたけど、またもや休館日にあたってしまった。
嫌われてしまったのかな(苦笑)。
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