2009/06/18

大刀洗平和記念館を支援する会

Type97
<大刀洗平和記念館に展示されていた中島九七式戦闘機>
これは旧館時代に撮影したもので、
10月3日には筑前町立大刀洗平和記念館として新オープンする。
「まず地域のシンボル施設として地域住民に支えられ、
親しまれる記念館運営をしていくことが必要です。
そのため、地域住民が自発的・自主的な組織である『筑前町
大刀洗平和記念館を支援する会』を設立し、会員を募集します」
(筑前前ホームページより)…とのこと。
年会費は1000円。地域住民じゃなくても入会できるのかな。

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2009/06/06

語るより金をくれ

Zero_004_1
1995年の零戦の里帰り飛行では、
僕も国内飛行許可の取得などで微力ながら協力をした。
もちろん手弁当である。膨大な手間や時間、そして金がかかった。
僕個人の赤字は主催者の赤字に比べたら微々たるものとはいえ、
それでも車が1台買えるくらいの持ち出しにはなった。
Zero_020_1
主催者にも金がないから、宣伝はマスコミの報道だのみだった。
だから取材に来てくれた記者は、大切なお客さまである。
ある新聞記者は「日本では大戦機を飛ばそうなんてできない。
まったく情けない」と、日本の現状を嘆いてみせた。
ご高説、ごもっとも。阿施光南、感極まったぞ。
「じゃあ、まずおまえが金をだしてみせろ」
思わず、大切なお客さまにいってしまった。改めて、ごめんなさい。

しかし「俺には金はないのだが…」などという前提で
他人ごとのように文句を言っているだけでは、何も変わらないよ。

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2008/09/17

ケンカうって4周年

Okura_kadena
<勤労学生時代の阿施光南。嘉手納のオークラホテル?>
早いもので今日で「風の探検隊」も4周年。
さすがに4年間も続けていると飽きて放置することもあるが、
原稿はだいたい1ヶ月ほど先まで詰まっているから
それが尽きる前にはまた書きたくなる。
編集者は、それを仕事からの逃避と考えているようだけど…。
Ryugasaki
<まだ発表したことのないボツ写真のストックももいっぱいある>

ちなみに初期の「かぜたん」は写真がうんと小さかったり、
写真のない日があったりするけど、
これはココログの容量がうんと小さかったからだ。
いまは十分な余裕があるんで、こじつけ写真でも毎回だせる。
コメントとトラックバックは今後も受け付ける予定はないが、
メールをいただいた方には返事は出している。
リンクは「かぜたん」内の関連項のみで外部には飛ばしてない。
ときどき外部にリンクしたくなることもあるのだが、
とりあえず自分で責任を持てる範囲に限定しておこうということだ。
必要なときには参考になるようなキーワードを入れているので
興味のある人はそれで検索して飛んでください。
あとは飛行機ネタと一般ネタはできるだけ交互に。
だいたいそんな方針でやってます。

Misawa1994
<4年前のコンパクトデジカメ画像。こうしてみると時代を感じる>
小さくすると目立たないけど、オリジナルは粒子がザラザラ。

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2008/07/01

二式大艇撮影記録

H8k_00_1
<二式大艇。1980年7月25日撮影。船の科学館>

もうちっと整理してから出そうと思っていたのだが、
全然メドがたたないので中途半端だけど掲載してしまおう。
右のサイドバーの「マイフォト」に二式大艇UF-XSを追加した。
二式大艇はレストア中から何度か撮影しているのだが、
そのフィルムはまだ発掘していない。
ただ撮影メモはでてきたので以下に転記する。
名前は一部イニシャルとし、※の注記以外は原文のまま。
それぞれの日に撮った写真が、まだどこかにあるはずだ。
しかし大学時代の阿施光南、青いけど、真剣だぞ(笑)。
この記事は、イギリスの航空雑誌に発表した。

1980年2月29日
主に胴体。コクーンは完全除去。日の丸の上に米軍マークあり
エンジン4基、フロート、水平尾翼、主翼内、外翼。
周辺部撮影をS藤氏、I沼氏に頼めども断わられる。

1980年6月4日
展示場所に設置。固定作業中。
主翼、尾翼および内側エンジンは取り付けられている(ペラも)。
テイルギアはなし。かわりに前後に支柱あり。
尾部銃座付近(※おそらく作業中に)破損。
日の丸は塗装されている。
主のフェアリングはまだない。

1980年6月13日
#4ダミーエンジンが置かれているのを撮る。
エンジンカウリング内部に「2式特艇」の字を見る。
機体は4日とほぼ同じ。

1980年7月4日
外側エンジン、プロペラが取り付けられ、
左外側エンジンのプロペラスピンナー取付作業中。
内外翼の接合部(支柱取付部)の外板取付作業中。
各翼のフェアリングが取り付けられていた。
「丸」の取材中という鈴木幸雄氏に会う。
午後は横田へ。

1980年7月20日
一般初公開。テープカット等撮る。
橋口義男氏、三遊亭金馬など。

1980年7月23日
航空情報K戸氏よりK川氏にTELを入れてもらい
艇内撮影許可を得る。

1980年7月24日
夕方、企画部にTELを入れ、I川氏と明日の打ち合わせ。

1980年7月25日
10:00~11:30まで艇内および建物(※船の科学館)より撮影。

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2008/04/23

「ファミリー」にどん引き

Family01
<アリさんファミリー。そろそろ公園でも見かけるようになった>

家族でもないのにファミリーとか称する群れは、ちょっと苦手だ。
いい大人を「小泉チルドレン」とか呼ぶのも同様。ドン引きする。
連帯感を強調したいのだろうが、ヤクザの一家じゃあるまいし。
あるいは根底で求められる一体感はヤクザと同じなのかも。
そういや昔、「ファミリー」を擁する脚本家が若い俳優に対して
「飼い犬に手を噛まれたようだ」なんていったこともあったっけ。
ファミリーはファミリーでも、こちらはペット扱いだったんだね。
Shinagawa08
<これはファミリーなのかなあ。少なくともヤクザではなさそう>

ファミリーといえば「世界は一家、人類は兄弟」なんてのもあった。
続きは「月はお隣、火星は遠い親戚」とかだったような。
昔は船の科学館にはそんな標語がくどいほど貼ってあった(苦笑)。
まあ、二式大艇を残してくれたんだから何でもいいやと思ったけど。
H8k2_8
<1979年>

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2008/03/07

「田舎」で撮った一式陸攻

Betty_1
<チノのプレーンズ・オブ・フェイムに展示されている残骸>

ロサンゼルスは広い街だ。気分的には関東平野くらい。
こういうところに住んでいる人の距離感覚って理解できない。
「すぐ近くよ、20~30マイル」って、40キロくらいが近いかよ。
昔、チノの公衆電話からロングビーチの航空宇宙メーカーに電話。
秘書の人が「今日だったら時間をとれますけど」っていうから
「あ~、いま田舎なんです。チノにいるから無理かな」と答えたら、
「本当に田舎ね」と笑っていた。
やっぱり20~30マイルが近所の人たちにもチノは田舎らしい。
僕にしてみればロングビーチもチノも同じロサンゼルスなんだが。

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2008/01/14

アメリカ製の飛行機って

Longleg01
<1995年、竜ヶ崎飛行場で暖気運転する零戦52型>

手前に立っているマーク・フォスターの足の長さ。
僕はこれを見て納得した。要するにアメリカ製の飛行機は、
こういうヤツに合わせて作ってあるわけだよ。

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2008/01/12

夜間戦闘機「月光」

Irving01
<NASM別館の月光一一型(J1N1-S)夜間戦闘機>

前にも書いたようにNASM別館の照明は非常に悪い。
暗いうえに、変にライトで照らしているのでなおタチが悪い。
ただし下からあたる光がちょっと夜戦ぽくていいかも。
以前のP-38もNASMの展示機だった。

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2007/12/01

無塗装の零戦

Zerozero02
<大戦末期、塗料と工数削減のため無塗装で完成した零戦>

つーのはもちろん冗談です。ありそうな話だけど。
映画「零戦燃ゆ」用に作られたレプリカを飛ばしてみた。
キャノピーの枠とか形とかを修正してある…少しだけ。
根気が続かないもんで(笑)。
前も別ネタで書いたけど、人形は顔が命。で、
飛行機はキャノピーの造形が重要なポイントなんだが、
このレプリカはその点で本当に残念。

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2007/11/22

たかだか1200馬力

Judy002
<博多湾上空を飛ぶ彗星艦爆一一型。もちろん合成>

僕が飛行機の免許を取るときに使ったセスナ152は
エンジンの出力が100馬力しかなかった。
そんなものでも、ちゃんと不自由なく空を飛べるのだ。
ときどき150馬力に換装したというセスナ150で飛ぶと
「おお、すんごいパワーだ」と驚いたものだ。
260馬力のピッツに乗ると、もう無敵の気分だった。
それからのことだ、昔の飛行機ってすごいなと実感したのは。
たとえば彗星艦爆のアツタ二一型エンジンは1200馬力。
以前なら馬鹿にして「せいぜい」とかつけていたところだが…。

ではF6Fヘルキャットとかの2000馬力ってどんなだろう。

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2007/11/06

一〇〇式司令部偵察機(二型)第302号

100shiki01
<某国の某博物館に展示されていた新司偵のプレート>

一〇〇式司令部偵察機二型の第302号とある。
作られたのは昭和19年4月。
残骸からとられたような感じのプレートだった。

ちなみに近くにはやはり撃墜された日本機の無線パネルも展示。
Radiopanel01
同じ機体かと思ったら、こちらは単発の武装偵察機らしい。
ニューギニアのラエから50キロほど東で撃墜されたものという。

僕にはくわしいことはわからん。
とりあえず歴史の資料として、ご紹介しておこう。

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2007/07/31

今年も恒例の

今年も明日から、河口湖自動車博物館の飛行舘が
8月いっぱいの予定で公開されるそうです。
ちなみに飛行舘の「かん」は「館」と思っていたら「舘」だそうです。

Hamaozero01
河口湖じゃないけど、濱尾豊さんの零戦、どうするんでしょうね。

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2007/06/20

これまた上野の零戦

Zero001

上野の国立科学博物館の旧航空宇宙館の零戦21型改
床置きされていた時期の写真があったはずだと思っていたが
ようやく発掘できた。
でも、はぐれポジにまざっていたんで、撮影日時は不明。

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2007/06/04

飛行艇親子三代

Ufxs001
<三保時代のUF-XSの艇首>

Us1a01_1
<岩国基地のUS-1Aの艇首>

なるほどPS-1/US-1はUF-XSから生まれたのだと実感できる。
全体的なレイアウトは二式大艇の面影を強く残しているが、
このアングルから見ると違いがきわだつ。

H8k001
<鹿屋基地の二式大艇の艇首>

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2007/03/22

歴史考証

Toyokoro01
<零戦52型整備中。1995年7月、豊頃飛行場>

プレーンズ・オブ・フェイムの零戦52型、61-120号機。
航空ショーの合間にオリジナル栄エンジンを整備中の、左から
ケビン・エルドリッジ、マーク・フォスター、スティーブ・ヒントン。
メカに弱い僕は、もっぱら「パシリ」などして手伝った。
北海道までのフェリー飛行中に雨に当たって塗料がはげたので
帯広市内まで塗料を買いに車を走らせたこともある。
スティーブの指定はMr.カラースプレーの日本海軍機上面色。
いいのか、そんなんで?普通のプラモデル用の塗料なんかで。
「だって、これ日本海軍の飛行機なんだろ?」
まあ、個人的には「飴色」とかいわれなくてよかったけど。

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2007/03/01

名古屋時代の零戦32型

32zero03
県営名古屋空港が名古屋国際空港だった頃に
旅客ターミナルビルの航空宇宙館に展示されていた零戦32型。
いまは九州の音楽館に収められている。

中部国際空港が開港する前夜、送迎デッキからガラスごしに
分解作業中の姿を見ることができた。
32zero04
水平尾翼やテールコーンは外されているが、
そこから見える「見えない部分」はあまりいい状態ではない。
なんとかしないと…って、まず金を工面しないとね。現実は厳しい。

ちなみに、こちらはまだ名古屋に残っている零戦52型甲型。
Meiko01
三菱の名古屋航空宇宙システム製作所小牧南工場史料室。
やはり名古屋には1機は零戦がないと。
で、やはり飛燕は各務原にあってほしい。

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2007/02/11

もう飛ばせない疾風

知覧特攻平和会館に収められてしまった疾風のコクピット。
Hayate02
もちろん、いまは撮影禁止なんで撮らせてはもらえない。
これは京都嵐山美術館に展示されていたとき(↓)に撮影した。
Hayate01

いうまでもなく、この機体が日本にきたときはまだ飛行可能だった。
Hayate03
<1973年10月、入間基地で開催の国際航空宇宙ショーにて>

そのあと桁を切断したとか(実際には切られていないらしい)、
部品が盗まれちゃったとか(盗んだやつ、返せ!バカヤロー!)、
いろいろあって、「もう飛べない」ということになっている。
だが多くのウォーバードをレストアしたスティーブ・ヒントンは
「もし桁を切ってしまったとしても、飛ばせる」と僕に断言した。
そう、彼らならどんな状態からでも飛ばせるようにできる。
貴重な機体を飛ばすことに意義があるかどうかは別問題として
疾風を再び飛ばすことは技術的には可能であると考えていい。
ただ…遺品扱いじゃ、やっぱり飛ばせないんだろうなあ。
せめて、写真くらい撮れる場所に置いてほしい。

ついでに、といっては申し訳ないが、やはり嵐山時代の零戦。
63zero01
琵琶湖から引き上げられてここに展示された後、
しばらくは和歌山県の白浜零パークに置かれていた。
いまは広島県呉の大和ミュージアムに落ち着いている。
63型…もしくは62型(笑)。

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2007/02/05

上野と調布で撮った零戦

53122zero01
<上野の国立科学博物館の零戦。1977年2月撮影>

しばらくしたら、後部胴体が調布飛行場に転がっていた。
最初は同一機と気づかなかったんで、何かの大道具かと思った。
「よくできてんな~。ずいぶん本格的な映画みたい」とか(笑)。
53122zero02
<1979年8月撮影>

さらにしばらくしたら、また上野の航空宇宙館に戻ってきた。
ここでも天井吊りじゃなくて床に置いてたことがあったはず。
上の写真を撮る前の時期かもしれない。
どっかに写真があるはずなんだけど。
53122zero03
<後ろにモ式6型が見える。骨だらけでわかりにくいが>

で、航空宇宙館を新館に作り替えて、現状ですな。

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2007/01/26

入間基地の桜花(修復前)

Ohka07a
1979年に大阪エキスポランドで開催された世界の飛行機博。
秋水などエド・マロニー氏のコレクション展示が中心だったが、
入間基地に保管されていた桜花も展示された。

Ohka07b
こちらは、そのずっと前に入間基地で撮影したもの。

入間基地の桜花はその後とてもきれいに修復されたが
これを収めた修武台記念館は新しく建て替え中である。
旧館時代、撮影禁止になったこともあるようで、
さて、新館ではどうなるのか気になるところ。

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2006/12/28

日本の計器ですけど

ロシア機の計器に読めないのがあるのは仕方ないとして、
これは所沢航空発祥記念館に展示されている九八式速度計。
日本の、しかも読むのにいちばん苦労しないような計器だが…。
Meter01
「速」と書いてあるから速度計だろうとは誰にも想像できる。
実は展示されている横にはそのような解説板もついている。
しかし外側の目盛と内側の目盛は何を意味しているのか、
そこまでの解説はない。
アメ車だと片方がkm/hで片方がmphだったりするのだが、
この両者をうまく換算できるような速度単位を思いつかない。

実は内側も外側も単位は(×10)km/hで同じ。
外側は低速用の目盛で、内側は高速用の目盛になっている。
つまり指針は1周ぐるんと回ったあとで高速ではさらに進む。
ちなみに、これを装備した98直協の最大速度は349km/h。
その範囲内で飛ぶなら外側の目盛だけでも十分なはずだが、
飛行機には急降下という手もあるから高速目盛も不可欠となる。

そういや僕が前に乗っていたバイクも、
高速では針が2周めに突入した。急降下したわけじゃなく(笑)。
でも、高速用の目盛はついていなかったな。

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2006/11/15

紫電改せんべい

Sidenkais01

愛媛県愛南町の紫電改展示館で売っていたおみやげ。
味はとりたてて変わっていたわけじゃないけど、
欲しいでしょ。でも、東京からだと遠いんだよね。

ただしメダルは別売です。どこにしまったんだろうな。

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2006/08/31

続・河口湖自動車博物館の零戦

原田さんの零戦、今年の公開は今日で終わりです。
見損なった人は靖國神社に嫁入りしたのが1機ある。
Yasukuni01
幸いにして、この零戦を置いてある場所だけは撮影可能。
どうせなら、彗星もこっちに移してくれればいいのに。

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2006/08/21

我に追いつくグラマンなし

Saiun01
巻雲系の雲がでているときなどに、しばしば見られる彩雲。
青空との境界ちかくの雲に微妙な虹色が、わかるかなあ。
肉眼ではもう少し鮮やかだったんだけど、ああ、この邪魔な電線。

「智恵子は東京には空がないと言ふ」(智恵子抄/高村光太郎)

…今日はまったく同感。電線の地中化には金がかかるというが、
日本より金のなさそうな国でもどんどん地中化してるじゃん。
Saiun02
色が消える前にと空のひらけた場所を捜したけど、これが限界。
その徒労感は「ワレに追いつくグラマンなし」って気分。
もっとも彩雲に逃げられちゃったグラマンの側の気分なんですけど。

で、ロンドンの科学博物館に展示されている誉エンジン。
彩雲にも装備されていた。
Homare01

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2006/08/11

音楽館の零戦32型

トシとって楽になったのは若い人が気をつかってくれること。
若い編集者と取材に行くと、たいていずっと運転してくれる。
車もってないんで若い人が車だしてくれるせいもあるが、
レンタカーでの地方取材でも運転してくれることが多い。
いやー楽チン楽チン。若い人はドライブ好きだしねー、
…とか思っていたのだが。
Zero32o
名古屋空港の航空宇宙館が閉鎖されて
福岡の山中、音楽館(おんらくかん)に移された零戦32型。
若い編集者と一緒に福岡空港でレンタカーを借りていった。
で、いつもの調子でホイッとキーを渡そうとしたら、
「たまには阿施さん、運転してくださいよ」
うっ、気をつかってるんならそういう配慮は無用だぞ。
「僕はカーナビのネエちゃんとお話ししてますから」
あっそー。自慢じゃないが、こちとら免停×回だ。
ちびったら、みんなに言いふらしてやるからな。くそー。

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2006/08/07

レストアを待つ紫電改

NASM/米航空宇宙博物館所蔵の紫電改。レストア前の姿。
George05
<メリーランド州シルバーヒルで撮影>

その後、チャンプリン戦闘機博物館で見事にレストアされ
作業期間を含めて10年間置かれていた。
現在はダレス国際空港近くの新館に収められている。
中翼の紫電を低翼に変更したためか、
胴体との間に巨大なフィレットを設けた樣子がよくわかる。
コクピット横に、意外とまともな字で「菅野大尉」と書いてある。
もちろんオリジナルじゃないと思う。色も青っぽいが、そうなの?

George06
<レストア完了後。アリゾナ州メサで撮影>

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2006/08/01

河口湖自動車博物館の零戦

Kwgcko02
今年も8月1日から31日まで、
原田さんの河口湖飛行館コレクションが公開されます。
10時から16時まで、8月中は休みなしだそうです。

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2006/07/23

スミソニアンの零戦

Nasmzero01a
数ある零戦の中でもオリジナル度はピカイチという
米国立航空宇宙博物館の零戦52型。
が、数ある零戦の中でも最もプラモデルっぽくて、
ホコリっぽい機体でもある、個人的印象では。

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2006/07/07

秋水一閃

J8m05
ロケット戦闘機「秋水」試作機。いつもはチノに置いてある。

J8m01
でも、日本に里帰りしたこともあった。
1979年、大阪エキスポランド、世界の飛行機博で。

J8m02
こちらは三菱で作られた「秋水」量産型。名航の資料室で。
岐阜基地に展示されていた機体を復元したものだが
ほとんど新造といってもいいかと思う。手前に部品残ってるし。

J8m03
かつて岐阜基地に展示されていた頃。後方は零式三座水偵。
同型機のフロートは大刀洗にある。

J8m04
これは某所に保管されている秋水練習機「秋草」の座席。

7月7日は、秋水がただ一度だけ飛んだ日だ。

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2006/07/05

ロケット機の照準器

Sight01
ドイツの垂直発射型ロケット迎撃機ナッター。
ロケット弾を発射するための照準器は非常にシンプル。

似たような照準器をつけたロケット機は日本にもある。
Sight03

ちょっと使い方は違うけど。

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2006/06/25

サンディエゴの零戦

サンディエゴ航空宇宙博物館に展示されている
零戦62型、もしくは63型。よくわからん。
零戦は詳しい研究家が多いので、
ヘタに知ったかぶりをするとすぐにボロがでる。
Sandgzero01a
個人的にはパイロットのディスプレイがちょっと興ざめ。
ただしバージニアの米海兵隊博物館には、
もっと悪趣味な桜花の展示もある。
まあ、桜花は存在自体が悪趣味なんで仕方ないが。

サンディエゴのイチオシはコンベアXF2Y-1シーダートかな。
Seadart01a
カッチョいい。

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2006/06/15

木更津航空祭での彗星

D4y1c05a
もったいぶって小出しにするわけじゃないんだが、
ぽつりぽつりとポジがでてくるのをスキャンしてるんで。
1980年の木更津航空祭に展示されたレストア中の艦爆彗星
一般公開のイベントなんで撮っている人も多いだろう。
僕はこのとき初めて見て、本当にびっくりした。
で、田中祥一さんに「どうか手伝わせてください」と頭を下げた。
だって、こんなのいじれる機会はそうそうあるわけじゃない。
メンバーには「会社」を辞めて参加していたプロの整備士もいた。
僕自身は時間に余裕のある学生だったのでもっと気楽だった。
必須の授業のときは大学に、それ以外は木更津にこもった。
もちろんギャラなんかない約束で、東京からの交通費も自腹。
宿と食事は提供されたが、大部屋の木賃宿のようなところ。
体力に余裕のある学生時代でも、けっこうハードな毎日だった。
ただしレストアが終わったあとで、なんと日当が出ることに。
金を払ってでも参加したいと思っていたプロジェクトではあったが、
貧乏学生だったからこれはありがたかったな。
D4y1c06a
こちらも航空祭で展示されていたアツタ・エンジン。
かなりイカれている感じだが、中身のダメージは少なそうだった。
整備士のように実物メカを見て判断できるほどの素養はないが、
金さえかければ回せるんじゃないだろうか、と思った。

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2006/06/11

続・浜名湖のモーリス・ファルマン碑

浜名湖畔のファルマン碑についていくつか情報をいただいた。
結論から書けば、機体部分はもう残っていないそうだ。
90年代前半には相当に痛んでおり、
5年ほど前には台座部分だけになっていたそうだ。残念。
前回と同じポジだが、機体部分を拡大して色調を再調整した。
邪魔なので消していた背後の電柱や電線も残している。
Hamanako03

この碑について、僕の知っていることをまとめておく。
主なソースは「航空情報」1977年8月号、からの当時のメモ。
古い航空雑誌はほとんど処分してしまったのだが、
新橋の航空図書館に行けばバックナンバーがあるはずだ。

この碑の除幕式は1977年4月13日に行われた。
碑を作ったのは新居町ライオンズクラブ。
第一次世界大戦直後の1919年、ここ大正浜において
フランス空軍のペラン中尉、マルタン軍曹を教官として
航空射撃訓練が行われた。
両氏は新居町に数ヶ月滞在して指導にあたったが、
水上機基地はその年の9月の台風で壊滅してしまった。
新居町LCは同町が航空揺籃の地であることを記念して、
またフランス国民との友好親善を図る目的で記念碑を設立した。

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2006/05/30

彗星断念

エフトイズの新しい食玩、ウォーバードシリーズ。
鷹部隊の彗星一一型がラインナップされている。
風の探検隊にもしつこく何度か登場させているけど、
僕はこの飛行機が好き、というより思い入れがある。
無数のリベットを打ち、アンテナ支柱も削りだしたのだから。
D4y1c01a
が、今回は欲しいのは液冷彗星とM.202くらい。
食玩でハズレが出るのは宿命とはいえ、確率が悪すぎる。
シュトルモビクは水平尾翼の造形を生理的に受け付けない。
それが出るかもと思っただけで購入意欲がうせてしまう。
で、またヤフオクあたりで落とそうかと思っていたが、
人気あるのか予想以上の高値で取引されている。
つーわけで、今回はあっさり断念であります。

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2006/05/28

ありがたい配慮

鹿屋航空基地史料館には興味深い展示物が多いが
あいにく館内のほとんどは撮影禁止。
東京からは、はるばる飛行機とレンタカーの長旅になるが
最初に行ったときは知らなかったので「えーっ」と思った。

その後、零戦だけは撮れるようになった。
やっぱり「えーっ」という人が多かったのだろう。
他にも桜花のエンジンなど撮りたいものはいろいろあるが、
まあ、これだけでもありがたい。
Kanoya04
それでも零戦を撮っていると、
他の来館者からの「撮影禁止だぞ」という冷たい視線を感じた。
いちいち言い訳はしないが、↓ちゃんと見てくだせえ。
Kanoya03

同じような配慮を、知覧や靖國でもしてくれればいいのだが。

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2006/05/26

飛行機に賽銭

大学生の頃、月刊「航空情報」に1コマ漫画を連載していた。
だから僕のことを漫画家だと思っていた人もいたそうだ。
もちろんまともなイラスト用の道具なんか持ってないから、
白い新聞チラシの裏にサインペンで書いたりして、
「もうちっと、なんとか…」と編集のN村さんにいわれたこともある。

艦爆彗星が靖國神社に置かれることになったときの漫画。
Saisen01
※オリジナルはモノクロ。フォトショップで色をつけた。

それから約20年…、
愛媛県愛南町(かつての御荘町)の紫電改を訪ねてびっくり。
飛行機に、本当に賽銭がたくさん投げられていたのだ。
しかし、それは想像したほど変な光景ではなかった。
Shidenkai01
※コンパクトジデカメで撮った画像をパノラマ合成。

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2006/05/18

ロンドンの零戦

Zerolnd01
ロンドンの帝国戦争博物館にある零戦52型。
あいにくコクピット周辺の部分だけの展示だが、
世界各地に残る零戦の中でもとりわけ生々しさを感じるのは
戦争中からの塗装が、ほぼそのまま残されているからか。

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2006/05/08

浜松の零戦

Hamamaz04
現在は広報館の天井からブラ下げられている零戦52型。

Hamamaz05
特に横から見ると、あちこちアラが目立ってしまうが、
この機体は本当に活躍してくれたのでブツクサいう気はない。
なにしろ昔は、日本にある零戦はこれが唯一無二だった。
人々にその雄姿を見てもらうためにあちこち貸し出されるなど
長く孤軍奮闘してくれた機体なのだ。
巨大な尾輪もそうした取りまわしを考慮してのことという。

後ろにも部隊マークのないF-4EJとか、
F-86ブルーインパルスとか懐かしいのが並んでいる。

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2006/04/24

木更津基地の彗星

Suisei03
木更津基地の格納庫を間借りしてレストア中の彗星艦爆
現在は靖国神社に展示されている機体。
大学生だった僕は、下っ端作業員として作業を手伝っていた。
TV局がスポンサーだったから、
作業中に撮った写真の公開は控えていたが、もうよかろう。
他にロクな記録も発表されていないのだから、なくす前にだす。

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作業完了後に、余ったパーツを分けてくれた。僕はタブをゲット。

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2006/01/11

「モ」はモーリス・ファルマンのモ

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荒川区熊野前商店街の杉野治義中尉の慰霊碑。
1917年、下志津から所沢への帰投中に墜落した。
金属製の飛行機模型つきの碑というのが珍しい。
機種の説明はないが、形はモーリス・ファルマン機。

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同系のモ式6型は国立科学博物館が所蔵している。
公開は中止されているが、現存する最古の「国産」機だ。

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2005/11/14

ハヤブサ

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<EAA博物館に展示されていた一式戦。いまはMoFにある>

これまでハヤブサといえば隼だったけど、
これからは「はやぶさ」も同じくらいポピュラーになる、かも。
まさか、今度はOSCARなんて呼ばせない。

これまでの惑星探査や衛星探査と違って、
連載マンガのように長く継続する緊張感とワクワク感。
世の中の盛りあがりがイマイチなのが、ちと淋しいが。
19日のタッチ&ゴーが見事に成功しますように。

ちなみにイトカワはいうまでもなく糸川英夫博士にちなんだ名前。
日本のロケット開発の父といわれる糸川博士だが、
戦前は中島飛行機の技師として隼の設計にも関わっていた。
それが「はやぶさ」の名にも反映されていると信じているのだが。
「はやぶさ」がはるか宇宙を旅してイトカワに会いに行った。
宇宙には疎い飛行機マニアにも、泣ける話じゃないか。

…でも、だからって次が「しょうき」、のわけないだろうな。
糸川博士は好きな飛行機だといっていたけど。

で、いまJAXAがイトカワへの着陸地点の名前を募集している。
せっかく「はやぶさ」、イトカワときたんだから、なんか凝りたい。
いや、だから「しょうき」じゃなくてさあ。
いかん、マジで考え出すと、また仕事の遅れが…。

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2005/10/18

中島 キ-115 剣

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都立航空高専に保管されていたころの中島キ-115「剣」。
僕はずっと、最初から体当たり特攻機として作られた
航空史上に残る忌まわしい飛行機だと思っていた。
ところが主任設計者である青木邦弘さんが書かれた
「中島戦闘機設計者の回想」(光人社NF文庫)を読み
それが誤解であったことを知った。ここにお詫びします。
確かに「特殊攻撃機」として試作命令は出されていたが
青木さんは簡易な単座爆撃機として計画、設計したという。
決して最初から特攻目的に作られたわけではないのだ。

ちなみに現在この機体は別の場所で非公開保存されている。
僕が撮影したのは80年頃、旧校舎の格納庫である。
↓当時のメモ。格納庫内部のレイアウトが書かれている。
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これでも今の100倍、きれいに書いてある。さすが大学生。

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2005/09/10

零戦燃ゆ、のレプリカ零戦

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1984年夏に公開された映画「零戦燃ゆ」。
その撮影用に作られた実物大の零戦のレプリカ
キャノピーやカウリング、ディテールにはやや難ありだが、
全体にうまくまとまっているのは本物と同じ三菱製だからか。
ただし名航ではなく三菱金属だという。お値段は7千万円。
当時なら、その金額でフライアブルのP-51が買えたはず、
などというのはヤボというものだろう。

これは新宿住友ビルで公開されたときのスナップ。
ただし映画は…観なかった。
加山雄三が嫌いだから、っていう理由じゃなかったと思う。

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2005/09/03

サイパン国際空港と零戦

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遠くに白く見える直線がサイパン国際空港の滑走路。
かつては日本海軍航空隊の拠点、アスリート飛行場だった。
1944年6月に米軍はサイパン島に上陸し、飛行場も制圧された。
右下に見える美しいビーチのあたりが米軍の上陸地点だ。

飛行場が制圧されたとき、まだ日本軍機が数多く残されており、
それを破壊するために何度か日本軍の攻撃が敢行されたという。
しかし捕獲された機体の多くはアメリカ本土に送られて調査された。
オリジナルエンジンで飛行可能に維持された唯一の零戦52型も
そうしてアメリカに送られた機体のひとつである。
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この機体を破壊するために多くの血が流されたわけだが、
果たされなかったおかげで零戦は生きながらえ
二度の里帰り飛行で多くの人にその姿を見せることができた。
兵士は無念だったかもしれないが、僕は感謝している。

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2005/06/30

撮影禁止の飛燕

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日本航空協会の飛燕。
現在は知覧の特攻平和会館に展示されているが
館内は撮影禁止となっており写真は撮れない。
数多く収められている遺品などに対する配慮だろうが
同じく展示されている疾風や零戦も撮影できない。
ちなみに靖国神社遊就館の彗星も同様に撮影禁止だ。

大切に保管してくれているのはありがたいと思う。
「写真は撮るな」というのもその施設の裁量だろう。
だが正直なところ、写真の撮れない施設に
こうした貴重な機体が収められてしまったのは残念だ。
取材や調査などで許可をとって撮ることはできるだろうが、
報道関係者でも研究者でもないごく普通の愛好家が、
飛行機だけでも気軽に撮れるようにしてはもらえまいか。
たとえば鹿屋の零戦、大刀洗の97戦のように。

写真は1980年に池袋三越屋上で撮影したもの。
やっぱ写真、撮りたいと思うのが人情だろうに。

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ちなみにこちらは飛燕と一緒に展示されていた
中優さんのベビーグレートレークス複葉機。
手作りのホームビルト機である。
中さんは77年にピッツの事故で亡くなった。
この機体は、いまはどこにあるのだろう。

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2005/03/27

トラ!トラ!トラ!の零戦

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映画「トラ!トラ!トラ!」を観て泣いた人も多いだろう。
零戦はこんなにカッコ悪くねえぞーって。
テキサン・ベースの改造機だから仕方ない。
1970年当時、飛行可能な零戦は皆無だった。

しかしこの改造零戦、見れば見るほどよくできている。
第一印象で全然似ていないのが不思議なほどだ。

…でも、本当にカッコ悪い。

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2005/02/25

カウリングのない零戦その3

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期せずしてカウリングのない零戦が三たび。
閉鎖された名古屋航空宇宙館の零戦32型。
九州に移設のために分解中だが、
腐食がひどく難儀しているそうだ。
水平尾翼も取り外されている。

名古屋国際空港最終日にガラス越しで撮影。
翌週に再訪したときは、
3階部分が立入禁止で見ることができなかった。

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2005/01/21

年に一度は飛行機の虫干し

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いまは靖国神社に展示されている艦爆彗星。
レストア完了の日に、木更津基地で。
この日、僕たちは彗星を押して滑走路を走った。
作業後はじめて格納庫から出して、
太陽の光のもとで見た機体のカッコよかったこと。

日本にはフライアブルな保存機はほとんどないが、
せめて虫干しをかねて、年に1回くらいは
滑走路に置いてやるというのはどうだろう。
たとえ飛べなくても飛行機が一番かっこよく見える場所だ。

浜松とか三沢あたりなら簡単にできそうだ。あとは小牧。
鹿屋の零戦は建物から出せるんだろうか。
さらにちょっと工事すれば各務ヶ原と成田もなんとか…。

で、大刀洗は仕方ないから線路に置くかって?

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2005/01/08

カウリングのない零戦

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カウリングなしで展示された上野の零戦
エンジン試運転がはじまった。

…つうのはウソです。21型でなくて52型だもの。
一度、フルパワーの栄エンジンの音を聞いてみたい。

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2004/12/27

特攻練習機

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ワシントンのネイビーヤードに展示されている
体当たり特攻機「桜花」の練習型。
機首の下に着陸用のソリがついている。

着陸を考えない「本番用」には、もちろんソリはない。

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2004/12/13

上野の零戦

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グランドオープンした国立科学博物館の新館に
零戦21型(改)が戻ってきた。
最近は国内で見られる零戦も増えたから、
1機くらいはカウリングを外した展示もいい…
と思っていたのだとしたら、がっかりだ。
他に国内常設展示のアゴつきはないんだが。
あとは改造複座がわかりにくいのも残念。

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零戦の前には、日本で最初に飛んだ
ハンス・グラーデ単葉機とアンリ・ファルマン複葉機のペラ。
移転の決まっている秋葉原の交通博物館から
アンリ・ファルマン機を引き取って一緒に展示してほしい。
上野では、スペース的にも無理だろうけど。

しかし国立科学博物館、せっかく改装したのはいいが
なんだか全体にダッさくないですか。
でき損ないの遊園地かオバケ屋敷みたいに中途半端。
全体に照明も暗すぎてディテールや色がよくわからない。
ホームページもいかにも不親切だし。
もちろん、こんなものでもないよりはマシだが、
「さすがに理科軽視のお国柄」と思ってしまう。

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2004/11/27

二式大艇?

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イギリスのショート・サンダーランド飛行艇、
日本の二式大艇が参考にしたといわれる機体だ。
そこで民間型ソレントの機首をサンダーランド風に改造。
濃緑色を重ねてみたが…、

まるで印象が違う。イタズラ心だったが、
むしろ両機の個性がより明確になってよかった。
もちろん参考にしたという事実は恥ずかしいことではない。

ちなみに元の写真。
sunderl01.jpg

それから二式大艇。
emily04.jpg

ついでに、オモチャのボーイング314(景色と合成)。
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これは緑に塗っても、ニ式大艇には見えないだろう…

と思ったが、尾翼をいじってみたら…
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ニ式大艇スポンソン型。

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