熊本の人たちには恩義がある
4月14日、JAL633便から見た阿蘇山。
かすかに噴煙が上がっているが、このくらいは珍しくはない。
そして僕は、最初の地震の夜には熊本市内にいた。
前触れのない激しい揺れで飲み屋の椅子からスッとばされ
でもそれは僕だけだったので酔っぱらいは仕方ないなあと。
お店の人は「お気をつけて」と丁寧に見送ってくれたけれども、
皆さんこそ、早く帰らないと家が心配だろうにと恐縮した。
歩いて5分のホテルへの帰り道、
なんとなく一人で熊本城の様子を見に寄ってみたけど、
ちょうど余震があって石垣全体から恐ろしい地鳴りがした。
これはヤバイとそそくさとホテルに逃げ帰ると、
エレベーターが停まっていたので階段で部屋まで上がった。
ドアが壊れて開かなくなると困るのでチェーンロックをはさみ
すぐに避難できるような態勢をととのえてウトウトと眠った。
いや、何通ものメール着信に気づかないくらいには爆睡した。
朝、階段を降りていくとホテルの人が「申し訳ございません」と。
地震なのだから謝ることはないのに、大変なのは向こうなのに
またなんとも恐縮してしまった。
熊本からの仕事を終えて東京の家に帰り、風呂に入って寝た。
翌朝、さらにひどい地震が熊本を襲ったというニュースを見た。
熊本でお世話になったたくさんの人たちのことが思い出された。
いまお手伝いに行けるわけではないし、行っても役に立たない。
とりあえず、がんばってくださいとしかいえないのが情けないが、
できることを考えてから実行する。
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