うやまう、ということ
敬う気持ち、というのは自分の心の底から生まれる感情であって
人から強制されて無理にもつものではないと思っている。
たとえその人やモノがどんなに立派で好ましいものだったとしても、
また礼儀、慣習、あるいは常識として敬うべきものであったとしても
強要されたり、法律や規則で縛られた瞬間に色あせてしまう。
規則だから、罰則があるから、形だけでも取り繕うか…。
そんな気持ちになってしまったら、もう敬うとはいわない。
だから、そういう押しつけをしようとすることこそ
本当は大変な不敬行為ではないかと思うのだが。
卒業式、そして入学式の季節になると、よくそんなことを考える。
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